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        しろいしいなりやまこふん(ひらいむら576ごうこふん) / しらいしこふんぐん
国指定史跡 白石稲荷山古墳(平井村576号古墳) / 白石古墳群

 

※写真は全てクリックで拡大します※


白石古墳群・稲荷山支群

鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群 の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。

中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。

現在、稲荷山支群の皇子塚古墳平井地区1号墳白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。


▲「毛野国白石丘陵公園」古墳分布図

藤岡市の計画図を利用して独自に作成
 

稲荷山古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、旧多野郡平井村には643基、字白石に絞っても178基もの古墳が 確認された古墳密集地域であり、この稲荷山は平井村576号古墳と採番されている。

白石古墳群の盟主的存在で、6基確認されている前方後円墳の中でも、最初に造られたものと推定されている。

2019年、藤岡市、早稲田大学、群馬県立歴史博物館の合同で、最新のデジタル3次元(3D)測量と地中レーダー探査(GPR)に非破壊調査が行われた結果、墳丘は三段築造 で、それまで想定されていたよりも短い墳丘長(155m)と判明した。

5世紀初頭のものとしては東日本で5番目の規模である。
 

二基の竪穴式礫槨 + 粘土槨

1933年(昭和8年)の調査により、後円部墳頂で東西2基の竪穴式礫槨が検出されている。

東北から西南に向けて、主軸より10度前後東に傾いて、2基が平行している。

2基の間隔があいているため、中央にもう一基あるのではないかと推測されていたが、調査の結果、否定された。

東槨は調査の半年前、「稲荷山開墾組合」の発掘によって主要な部分が破壊されてしまっていたため、再度の発掘でも不明な点が多かったという。

2基は長大なもので、礫槨と竪穴式石室の性質を併せ持つ特殊な造りとなっており、礫槨から竪穴式石室へと移行していく過渡期のものなのかもしれない。

主体部からは鏡や直刀、石枕(いしまくら)、鎌、下駄などの石製模造品など、多くの遺物が出土した。

また、主体部の上に設置してあった、豪族の館を思わせる家形埴輪(寄棟造倉庫よせむねづくりそうこ)などは有名である。
(右の解説版の写真)

前述した2019年の最新の非破壊調査では前方部にも粘土槨と推定される埋葬施設が確認され、確認された埋葬施設は3基となった。

今後、発掘調査が行われることを期待する。
 

2基の陪塚を伴う

北に周堀を接するように十二天塚、十二天塚北古墳の2基の陪塚が存在している。

2基はかつて、一つの前方後円墳としてとらえられていたが、調査により、2基の方墳(2019年の最新の調査では円墳であると判明)とされ、白石稲荷山古墳の陪塚として3基一括して、国の史跡に指定された。
 



▲主軸を南西にとる巨大前方後円墳

左(西)が前方部、右(東)が後円部。
崖に接して斜面の上に造られているため、さらに巨大に見える。
 


▲後円部頂
 


稲荷山龍泉寺

500mほど南東に所在する龍泉寺は、かつて、この白石稲荷山古墳にあったという。

稲荷山龍泉寺は忠臣蔵で知られる吉良上野介義央の父、義冬によって創建されたと伝えられる。

白石村には吉良氏の所領の一つがあり、1km南西の吉良氏の陣屋で、吉良上野介が出生したと言われ、産湯につかったと伝えられる井戸も残されている。

ちなみに、上野国(現在の群馬県)は親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官が上野介(こうずけのすけ)である。

この稲荷山龍泉寺があったことが、この稲荷山古墳や字名の稲荷原の由来だろうか?

ちなみに、現在の龍泉寺の境内には白石古墳群・下郷支群の平井村484号墳が所在している。
 


▲後円部頂の東槨付近の石

東槨に使用されていた石材?

後世、ここに龍泉寺があった
時代の石材だろうか?
 


▲後円部頂の碑

西槨はこの辺りと思われる
 


▲後円部斜面

葺石と思われる石が多数ある
 

▲後円部から前方部

最新の調査で前方部にも埋葬
施設(粘土槨?)が確認された
 

▲北側から後円部

墳丘の手前に十二天塚古墳
十二天塚北古墳の2基の陪塚
 

▲後円部墳丘上の解説板
 

▲七輿の門展示室の解説版
「白石稲荷山古墳」
 

▲白石稲荷山古墳墳丘測量図

が後円部礫槨2基の推定位置
 

▲東西2基の礫槨の測量図
 
史跡指定   国指定史跡  「白石稲荷山古墳」
1993年(平成5年)11月30日指定
2009年(平成21年)7月23日(十二天塚、十二天塚北古墳)追加指定
所在地 群馬県藤岡市白石1365ほか
(旧多野郡平井村大字白石字稲荷原1374)
所有者:飯玉神社ほか(藤岡市が買収?)
別名 No. 1625 稲荷塚 「群馬県遺跡台帳」
平井村576号古墳 上毛古墳綜覧〈1938〉
遺跡番号 古098 稲荷山古墳 「マッピングぐんま」 
北1340-1 95 1340-2 96
アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図
築造年代 5世紀前半
形状 前方後円墳(3段築成) 全長:155m
後円部径:90m 後円部高:13.5m
前方部幅:80m 前方部高:6m くびれ部幅:50m
埋葬施設 竪穴系(後円部に礫槨、東西2基)(前方部に粘土槨)
東槨全長:8.2m 幅:90cm
西槨全長:5.3m 幅:40cm
出土遺物 周堀:埴輪(円筒、人物、馬、器財)、土師器、須恵器西西槨:鏡、玉、櫛、石枕、石製模造品
東槨:鏡、玉、石枕、石製模造品、家型埴輪
周辺施設 周堀、埴輪列、葺石(一部)
調査 (発掘)昭和8.10.23〜昭和8.10.30、昭和51.7.25〜昭和51.7.27、昭和60.12.9〜昭和61.2.9、昭和62.1.23〜昭和62.2.19
2019(平成31)年、非破壊調査(地中レーダー探査)
文献 『白石稲荷山古墳-範囲確認調査報告書T・U-』 1986・1987 藤岡市教育委員会、『藤岡市史 資料編 原始・古代・中世』 1993 藤岡市  

第一回探検日(写真撮影日)  2003年09月27日
第二回探検日(写真撮影日)  2020年01月29日
最新データ更新日  2019年07月07日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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