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       いせづかこふん(みどりむら56うこふん) / しらいしこふんぐん
群馬県指定史跡 伊勢塚古墳(美土里村56号古墳) / 白石古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


白石古墳群中の一基

白石古墳群を構成する4つの支群のうちの一つ、9基から成る七輿山古墳群(支群)に分類される。

国指定史跡の巨大前方後円墳・七輿山古墳(美土里村1号古墳)の北300mの平坦地にあり、白石古墳群中、最北端に位置する。
 

日本一美しい模様積みの石室

流麗な曲線を描く胴張り の玄室で側壁は模様積みで、天井石を支えるドーム状の構造になっている。

模様積みとは珪岩質の転石を中心に片岩製の棒状の石を配する独特な石積み技法で、藤岡市域から埼玉県児玉郡周辺に見られる。

1kmほど北に所在する山名古墳群山名原口II遺跡2号古墳も模様積みで、覆い屋で囲われた石室が

この伊勢塚古墳は残存状態も極めて良く、日本一美しい石室といっても過言ではないだろう。


被葬者考

石室は古くに開口しており、副葬品はほとんど伝えられておらず、被葬者の性格は不明である。

300mほど南の七輿山古墳が150mにも及ぶ巨大な前方後円墳で、20m級の巨大横穴式石室が想定されていることからすると、この伊勢塚古墳は極めて墳丘規模が1/5にも見たず、極めて小さい。

七輿山古墳と同じ6世紀代に造られたのであれば、薄葬令が出て、前方後円墳の築造がなくなり、古墳が縮小化 していく以前のものと思われ、あえて巨大な墳丘を造らなかったのではないだろうか。

墳丘は小規模とはいえ、これほどの技巧を駆使した石室を作り上げるのだから、首長クラスの権力者の墳墓であることは間違いないと思われる。

権力を誇示するように、どこからでも見える巨大な墳丘、巨石を運ばせて造った乱石積みの古墳を、武を誇る男性的な古墳とするならば、

外見はその存在を強調することなく、誰にも見られることがない内部をこれほどに凝り、美しく作り上げた古墳は女性的と言えるのかもしれない。

被葬者は七輿山古墳と同じく、この地に設置されていた緑野屯倉(みどののみやけ)を支配した一族の女性で、首長と共に一族を統括した家刀自(いえとじ)のものでないかとか、色々と想像してしまう。
 



▲南側から

古墳南側は畑なので、
分かりやすい


▲南西から

墳丘は2段に見えるが、
調査の結果、4段と判明
 

▲南に開口する横穴式石室

羨道の天井石はほぼ
失われていた
 

▲玄室の奥壁

砂岩質の戴石三石を
横に積み上げている

▲横穴式石室実測図

「群馬県史」

▲側壁の模様積み

等間隔に大きな石が配置されて
おり、水玉模様になっている
 

▲解説板の石室写真

疑似楣(まぐさ・門の戸の上に横に
渡した梁)も架設されている
 


▲現地解説板

群馬県教育委員会、
藤岡市教育委員会による

八角形墳説に異論、多角方墳説

以前は円墳と考えられていた古墳で、「群馬県史」、「群馬県古墳総覧〈2017〉」などでも、円墳とされている。

1987年(昭和62年)の範囲確認調査で、2段築造の不正八角形墳説が浮上し、有力視されるようになった。

現在、藤岡市のHPでは、4段築造の円墳あるいは不正八角形墳としている。

最下段を方墳、2段目から上を円墳とする上円下方墳説もある。

八角形墳は7世 紀中頃から8世紀初頭にかけての畿内地方の天皇陵あるいはそれに準ずる古墳に代表されるが、この伊勢塚古墳の築造年代は大体、6世紀後半〜末とする説が有力のようで、少し時代が早いように思える。
(ちなみに、群馬県史では7世紀中葉としている)

右で示した明日香村教育委員会による「明日香村文化財調査研究紀要」(2015年)の中の「八角墳の再検討」で、この伊勢塚古墳についても検討された結果、計画的にプランされた八角形とは言えず、多角方墳であろうとのこと。

八角形墳と角が8つある多角方墳とは、どのように違うのか、言葉だけではわかりにくいが、八角形墳と認定され吉岡町三津屋古墳の左図と見比べてみると、一目瞭然である。

八角形墳とは、中心から8等分に計画され、一つの稜角が135度となっているが、この伊勢塚古墳は方墳として作られ、四隅をカットされたような形である。

角は確かに8つあり、八角形ではあるが、計画的にプランされた正八角形墳とは造られた「目的」「意味」が違うように思える。

少なくとも、畿内の天皇陵、大王慕とは明らかに違うようである。

同様に考えると、同じく八角形説があった吉井町一本杉古墳多角円墳といえるようだ。

どのような事情で墳丘が八角に見えるようになったのか。
築造時、周囲の地形や葺石を積み上げる際の都合か、後に、何らかの事情で削られることになったのか。

一段目が方形であり、2段目から上が円形ならば上円下方墳に近いと考えたほうが良いのだろうか。
 

八角墳は全国で7基のみ

明日香村教育委員会による「明日香村文化財調査研究紀要」(2015年)の中の「八角墳の再検討」の項目を見ると、八角墳の可能性が指摘されていた25基について、再検討した結果、八角墳と認められるのは、下記の7基のみであるということだ 。

京都に1基 御廟野古墳、
奈良に4基 段ノ塚古墳、野口王墓古墳、牽牛子塚古墳、中野山古墳、
群馬に2基 三津屋古墳武井廃寺古墳

奈良、京都にある5基については、大王墓であると考えられるが、群馬にある2基については大王墓とは考えにくい。

奈良、京都以外では、群馬の2基のみであり、(東京、埼玉、山梨、三重でも八角墳とされていた古墳があるが、いずれも 多角円墳、多角方墳として、正八角墳であることは否定されている)この東国において、どのような思想の元で造営されたのか、興味深い 。
 

所在地 群馬県藤岡市上落合字岡317-1・2、318、319-1、320-1 所有者:藤岡市
別名 美土里村56号古墳 上毛古墳綜覧〈1938〉 アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図 
史跡指定 群馬県指定史跡
1973年(昭和48年)8月21日指定
築造年代 6世紀後半
形状 円墳、不正八角形墳(4段築成) 多角方墳?
径:27.2m 高さ:6m
埋葬施設 両袖型横穴式石室 羨道・玄室からなる単室構造
全長:8.9m
玄室長:4.7m 玄室奥幅:1.84m 玄室中幅:2.41m
玄室前幅:1.54m 羨道長:4.24m
出土遺物 須恵器、埴輪、直刀、金冠、土器
周辺施設 葺石、埴輪あり
調査 (発掘)昭和62.12.17〜昭和63.1.14
文献 『伊勢塚古墳・十二天塚古墳-範囲確認調査報告書V-』 1988 藤岡市教育委員会、『藤岡市史 資料編 原始・古代・中世』 1993 藤岡市、『群馬県史』、
『明日香村文化財調査研究紀要 −第14号−』
 

第一回探検日(写真撮影日) 2002年04月28日
第二回探検日(写真撮影日) 2003年12月20日
第三回探検日(写真撮影日) 2013年05月06日
最新データ更新日  2019年07月30日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 - 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
□内堀遺跡群 仮称大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財確認調査報告書 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群II 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群X 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概報 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1998)
東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
群馬の遺跡〈4〉古墳時代1―古墳
東アジアに翔る上毛野の首長 綿貫観音山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」119)
古代上毛野をめぐる人びと
東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
古代東国の王者―上毛野氏の研究

 

 

 

上州路散歩24コース

著者:群馬県歴史教育者協議会
出版社:山川出版社(千代田区)
サイズ:新書/220p
発行年月:2004年01月
税込 1,470 円

上州路の散歩コースと散歩事典。東国一の古墳文化上毛野、江戸北辺の守り上州、近代化遺産の宝庫群馬、常に時代の先端であった上州の地を訪ねる。
【目次】
第1部 上州路散歩24コース(相沢忠洋ゆかりの地を訪ねる/古墳時代上毛野の豪族をしのぶ/赤城山南麓の古墳群を巡る/上野国府・国分寺周辺を歩く/上野三碑ゆかりの地をたどる/中世新田荘を歩く/上野の名城箕輪城周辺を歩く/白井城と白井宿を歩く/東毛の山城に戦国をしのぶ/上州真田氏ゆかりの地を巡る ほか)/第2部 上州路散歩事典
東国古墳時代の研究

著者:右島和夫
出版社:学生社
サイズ:単行本/394p
発行年月:1994年05月
税込 7,646 円

【目次】
第1章 保渡田古墳群の研究/第2章 上野における群集墳の成立/第3章 上野の初期横穴式石室の研究/第4章 上野における横穴式石室の変遷/第5章 角閃石安山岩削石積石室の成立とその背景/第6章 総社古墳群の研究/第7章 截石切組積石室の研究/第8章 古墳からみた5、6世紀の上野地域/第9章 古墳からみた6、7世紀の上野地域
群馬の遺跡(4)

著者:群馬県埋蔵文化財調査事業団
出版社:上毛新聞社
サイズ:単行本/177p
発行年月:2004年11月
税込 1,300 円

【目次】
第1章 古墳時代の群馬は元気だった―群馬古墳学入門/第2章 豪族居館の発見/第3章 埴輪と古墳と古墳時代/第4章 巨石横穴式石室と豪華な副葬品―綿貫観音山古墳とその被葬者/第5章 多田山の唐三彩が語る歴史/第6章 群馬における古墳研究の歩み―『発墳暦』から観音山古墳・三ツ寺1遺跡まで/学習へのいざない
群馬の遺跡(5)

出版社:上毛新聞社
発売日:2005/01/01
サイズ/ページ:21cm/
定価:1,301 円

目次:
第1章 こうして古墳時代は始まった
第2章 黒井峯遺跡の発見
第3章 水田と畠
第4章 炉からカマドへ、農民たちの生活
第5章 群馬県の古墳時代集落研究のあゆみ―入野遺跡から黒井峯遺跡まで
学習へのいざない

 

 

 



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