【白石古墳群・七輿山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、七輿山支群に分類され、七輿山古墳群と表記される場合もある。
中心となる七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、稲荷山支群の白石稲荷山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
最北端に位置する伊勢塚古墳は不正八角形を疑われる円墳で、模様積みの美しい石室は一見の価値がある。
七輿山支群には他に2基の前方後円墳(宗永寺裏西塚古墳、宗永寺裏東塚古墳)が
現存するが、規模の縮小化されたものである。
稲荷山支群の中心部と、七輿山古墳を含む地域一帯が、現在、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。
【七輿山古墳】
毛野国白石丘陵公園の一部として整備され、古墳の北側には「七輿の門(公園の入口)」と展示室が設けられている。 1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、美土里村1号古墳と採番されている。
藤岡市HPによると、墳丘は145mとなっているが、2018年の調査により150m超であることが判明した、東日本でも屈指の巨大な古墳である。
前方後円墳は一般的に後円部の方が発達したものが多いが、この七輿山古墳は後円部幅よりも、前方部幅の方が著しく広
い。
後円部に対し、これほど前方部が発達しているのは稀で、八幡観音塚古墳以外に例がない
。
後円部、前方部それぞれの墳頂は改変されているが、後円部には江戸時代に五百羅漢像が祀られるなど、信仰の対象となり、大事に守られてきたようである。
【東日本最大の横穴式石室】
これまで、埋葬施設の発掘調査は行われてこなかったが、2018年、県立歴史博物館と早大との合同学術調査で地中レーダー探査が行われた結果、後円部の南に大規模な横穴式石室の存在が確認された。
日本最大の奈良の見瀬丸山古墳の28.4mには及ばないものの、20m程度は想定されるといい、東日本では最大規模、日本全体でも5本指には入る可能性が高い。
これまで、入口が開口しておらず、地中深くに埋もれており、石室の存在すら確認されていなかったことを考えると、ほぼ未盗掘の可能性もあり、今後の調査が期待される。
【緑野屯倉を支配した豪族の墳墓?】
『日本書記』によれば、藤岡市域は安閑天皇二年(535年)に設置された緑野屯倉(みどののみやけ)に推定される地域である。
この七輿山古墳は、緑野屯倉を支配した豪族の中でも特に強大な力を誇った首長のものと考えられる。
右の「七輿山の名の由来」で述べた通り、多胡郡の設置は、古墳よりも1世紀以上も後の8世紀代なので、多胡郡および群司の羊太夫にまつわるものとは考えにくい。
【堀越二郎の郷里】
藤岡市はスタジオジブリ映画「風立ちぬ」のモデルで、零戦の主任設計者である堀越二郎氏の郷里であり、七輿山古墳の北、数100mのところに生家があったと言う。
堀越二郎氏もこの巨大古墳に登り、大空に思いを馳せたのかもしれない。
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