【白石古墳群・七輿山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、七輿山支群に分類され、七輿山古墳群と表記される場合もある。
中心となる七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、稲荷山支群の白石稲荷山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
最北端に位置する伊勢塚古墳は不正八角形を疑われる円墳で、模様積みの美しい石室は一見の価値がある。
七輿山支群には他に2基の前方後円墳(宗永寺裏西塚古墳、宗永寺裏東塚古墳)が
現存するが、規模の縮小化されたものである。
稲荷山支群の中心部と、七輿山古墳を含む地域一帯が、現在、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。

▲白石古墳群分布図
(資料を基に独自に作成したもの) |

▲北側から、中央右の小山
奥の大きな墳丘は七輿山古墳。
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【美土里村51号古墳】
毛野国白石丘陵公園内、七輿山古墳のすぐ北側に所在する。
周溝に接するように所在するので、七輿山の陪塚の可能性もあるかもしれない。
1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、美土里村51号古墳と採番されている。
「群馬県古墳総覧〈2017〉」にも引き続き、古墳としての記載はあるが、発掘調査等は行われていないようで詳細は不明である。
また、「マッピングぐんま」
「群馬県遺跡台帳」には記載されておらず、古墳と認識されていないのか、近年の調査で古墳ではないと判明した可能性も??
(ちなみに「マッピングぐんま」は精度に疑問がある部分もあり、遺跡台帳も全ての古墳を網羅しているわけではないので、何とも言い難い)
現地古墳前にも何の目印もなく、「毛野国白石丘陵公園」の地図等にもこの古墳の存在は記されていない。
現状は、石垣で囲まれた方墳のように見え、南側に墳丘上に上がれる階段が設けられているが、上には何もなく、知らなければ古墳とは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。
せっかく古墳公園の敷地内に所在しているのにもったいないことである。
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