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           おうじづかこふん(ひらいむら580ごうこふん) / しらいしこふんぐん
群馬県指定史跡 皇子塚古墳(平井村580号古墳) / 白石古墳群

 

※写真は全てクリックで拡大します※


白石古墳群・稲荷山支群

鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群 の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。

中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。

現在、稲荷山支群の皇子塚古墳平井地区1号墳白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、「毛野国白石丘陵公園」として整備を進められている。


▲「毛野国白石丘陵公園」古墳分布図

藤岡市の計画図を利用して独自に作成
 

皇子塚古墳

稲荷山支群の北端に位置する4段築造の円墳であり、隣り合う平井地区1号古墳とは同時期の6世紀後半の築造である。

かつての多野郡平井村に所在し、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、平井村580号古墳と採番されている。

「群馬県史 資料編3」では、皇塚(おうづか)古墳として記載されている。 

また、同書では周囲に複数の小円墳を伴なっていたとあり、北に向かって連なる平井地区2号、平井地区2号北古墳のことかもしれない。

また、他にも周囲の三ツ木東原遺跡に数基の古墳が確認されている。

2003年の第一回訪問時は、周囲は私有の農地で、草木が生い茂っていたが、現在は用地買収、公園化が進み、きれいに整備されている。


県内では稀少の複室構造の石室

内部構造は両袖型横穴式石室で、羨道、前室、玄室からなる複室構造である。

県内で複室構造の石室は例が少なく、保存状態も良いが、奥壁の右隅に盗掘孔が残存していた。

凝灰岩を使用し、前庭部から前室までが河原石の乱石積み、玄室が截石(きりいし)積みとなっている。

7世紀前半まで追葬が行われたらしい。
 



▲西側から
 


▲北側から
 

▲西側から

左が平井地区1号古墳
右が皇子塚古墳

 

▲北側から

左手前が平井地区2号北古墳
真ん中が平井地区2号古墳
右奥の高い墳丘が皇子塚古墳
 

▲南東側

この辺りが石室開口部である
はずだが、埋め戻されている
 

▲現地解説版

写真上は、発掘時の石室の様子
写真下は、前庭から出土した
単龍環頭大刀の柄頭
 

▲石室と墳丘測量図
 


盗掘により、少ない出土品

盗掘を受けて、開口していたため、出土品は少ないが、前庭からは単龍環頭大刀の柄頭(たんりゅうかんとうたのつかがしら)が出土している。

同時期に隣り合って造られた平井地区1号古墳から出土した貴重な遺物は国の重要文化財となっている。

平井地区1号古墳は単室構造で、複室構造の皇子塚古墳より規模は小さく、墳丘規模も小さい。

とすれば、皇子塚古墳にも、平井地区1号古墳と同等以上の、国の重要文化財レベルの副葬品が眠っていた可能性も高いと思われる。
 

皇子塚(皇塚)」の名称も、由来は不明だが、もしかしたら、かつて出土した品が皇子(皇族)にふさわしいものだったからかもしれない。

 


皇子塚のすぐ北の遺跡?

「文化財境界」の境界石があり、
古墳か、住居跡か何かの遺跡で
あることは間違いないと思われる
 
史跡指定 群馬県指定史跡
1992年(平成4年)5月15日指定
所在地  群馬県藤岡市三ツ木字東原247、243、244、248、249-1
所有者:藤岡市
別名 皇塚(おうづか) 「群馬県史 資料編3」
No.1624 皇子塚 「群馬県遺跡台帳」
平井村580号古墳 「上毛古墳綜覧〈1938〉」
遺跡番号 古020 皇子塚古墳 「マッピングぐんま」 
アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図
築造年代 6世紀後半
形状 円墳  4段築造
直径:31m 高さ:6m
埋葬施設 両袖型横穴式石室
(羨道、前室、玄室からなる複室構造)
全長:8.33m 前庭部含む全長:12.16m
出土遺物 石室:人骨、馬具、刀装金具、ビーズ玉、鉄鏃・弓金具、耳環
前庭部:単龍環頭大刀の柄頭、須恵器等
墳丘:円筒・人物・馬・盾・靭・大刀鞆などの埴輪
周辺施設  
調査 (発掘)昭和27.10.11〜昭和27.11.13、昭和63.5.6〜昭和63.6.17 (測量)昭和8.10
文献 『皇子塚古墳-範囲確認調査報告書W-』 1989 藤岡市教育委員会、『藤岡市史 資料編 原始・古代・中世』 1993 藤岡市  

第一回探検日(写真撮影日)  2003年09月27日
第二回探検日(写真撮影日)  2020年01月29日
最新データ更新日  2019年07月07日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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