【白石古墳群・稲荷山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。
中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
現在、稲荷山支群の皇子塚古墳、平井地区1号墳、白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、「毛野国白石丘陵公園」として整備を進められている。
▲「毛野国白石丘陵公園」古墳分布図
藤岡市の計画図を利用して独自に作成
【皇子塚古墳】 稲荷山支群の北端に位置する4段築造の円墳であり、隣り合う平井地区1号古墳とは同時期の6世紀後半の築造である。
かつての多野郡平井村に所在し、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、平井村580号古墳と採番されている。
「群馬県史 資料編3」では、皇塚(おうづか)古墳として記載されている。
また、同書では周囲に複数の小円墳を伴なっていたとあり、北に向かって連なる平井地区2号、平井地区2号北古墳のことかもしれない。
また、他にも周囲の三ツ木東原遺跡に数基の古墳が確認されている。
2003年の第一回訪問時は、周囲は私有の農地で、草木が生い茂っていたが、現在は用地買収、公園化が進み、きれいに整備されている。
【県内では稀少の複室構造の石室】 内部構造は両袖型横穴式石室で、羨道、前室、玄室からなる複室構造である。
県内で複室構造の石室は例が少なく、保存状態も良いが、奥壁の右隅に盗掘孔が残存していた。
凝灰岩を使用し、前庭部から前室までが河原石の乱石積み、玄室が截石(きりいし)積みとなっている。
7世紀前半まで追葬が行われたらしい。
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