【四戸の古墳群中の1基?】吾妻川と温川の合流点の西側台地、岩島四戸地区にある墳丘8〜14m規模の円墳で構成される群集墳
。
『上毛古墳綜覧』(1938 (昭和13)年)には20数基の記載があったがほとんどが消滅したらしく、現存する4基(I号〜IV号)が東吾妻町の史跡に一括指定された
。
東吾妻町では史跡指定された唯一の古墳群である。
この古墳は、史跡指定された四古墳とは離れた北側の農地内に所在する。
データがなく、詳細は不明だが、大きな石の並べ方などから見ても古墳であることは間違いないと思われる。
「群馬県古墳総覧〈2017〉」
のデータと照らし合わせると、「十五塚古墳」の可能性が高い。
「群馬県古墳総覧」
記載の古墳で既に消滅したものは現状「×」と記され、四戸地区の古墳23基中16基は現状「×」となっているものの、「十五塚古墳」ついては現状「-」(未確認?)となっており、未だ残存している可能性
もあり、この周辺に存在するはこの1基のみ。
【分布図の位置のずれは誤差】 上空から見た図と重ねると、50mほど離れているが、分布図(上毛古墳綜覧〈1938〉の記述を元に作成?)は必ずしも正確ではない。
10番(III号古墳)においても、角地で、位置の特定がしやすいにもかかわらず、実際の所在地とは50mも離れた、道を挟んだ反対側の畑の中に、他の2基と
一括でマークされている。
また、先日調査が行われた47、49番の位置もやはり実際とは少し離れている。(詳細は四戸の古墳群)
周囲に目印のない畑の中に、1基のみで存在するので、このずれは誤差の範囲に思える。
【未発見の古墳の可能性は低い】 上毛古墳綜覧〈1938〉に未記載の未発見の古墳の可能性もある。 しかし、I号古墳、IV号古墳のように、狭小で背が低い古墳が、天井石を失い、地中に埋没しているならともかく、背もそこそこ高く、天井石を含め、石組みが残り、他に何もない畑の中で明らかに地表から高く飛び出ているのでこれまで未発見だったとも考えにくい
。
【古墳ではない可能性は低い】 消滅した古墳の散乱した石材などをまとめて積み上げた可能性もあるが、邪魔にならないように隅におくのではなく、畑の耕作に邪魔になるど真ん中に積み上げるのは不自然。
所有者は明らかに、これを避けて、耕作している跡があり、古墳と認識していると考える方が自然に思える
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