【四戸の古墳群中の1基】吾妻川と温川の合流点の西側台地上、岩島四戸地区にある墳丘8〜14m規模の円墳で構成される群集墳
。
『上毛古墳綜覧』(1938 (昭和13)年)には20数基の記載があったがほとんどが消滅したらしく、現存する4基(I号〜IV号)が東吾妻町の史跡に一括指定された
。
東吾妻町では史跡指定された唯一の古墳群である。
▲I号古墳前の解説板
【III号古墳】
このIII号古墳は吾妻渓谷へと続く道路沿いにあり、最も分かりやすい位置に所在する。
封土は失われ、川原石の巨石を使った、乱石積の無袖型の横穴式石室のみ残存している。
他の3基よりも、高い場所に位置し、むき出しになった石室の巨石がダイナミックな印象を与えている。
四戸の古墳群の石室は前半と後半では、石室の造り方が変化しているよう
で、前半細長く高さもない、小さな川原石を積み上げた竪穴式のような横穴式石室だが、後半は巨石を使った
よりダイナミックな造りになっている。
このIII号古墳は後半、4基のうちでは3番目に造られたのではないかと推測する。
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▲南側から
雄大にそそり立つ岩櫃山を背景に
既に盛土のほとんどが失われ
石室が完全に露出しており、
小さな「石舞台」のような風情
岩櫃山の中腹にはかつて
真田氏が治めていた岩櫃城が
あり、真田信繁(幸村)が
幼少期を過ごしたそうである
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▲西側から
石室に使用されたと思しき
石がごろごろと転がっている
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