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東吾妻町指定史跡 四戸IV号古墳 / 四戸の古墳群
 

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四戸の古墳群中の1基

吾妻川と温川の合流点の西側台地上、岩島四戸地区にある墳丘8〜14m規模の円墳で構成される群集墳 。

『上毛古墳綜覧』(1938 (昭和13)年)には20数基の記載があったがほとんどが消滅したらしく、現存する4基(I号IV号)が東吾妻町の史跡に一括指定された 。

東吾妻町では史跡指定された唯一の古墳群である。


1号古墳前の解説板


IV号古墳

他の3基と違い、このIV号古墳だけ、『上毛古墳綜覧』に記載がない 。

耕作中に偶然発見されたとの伝承があり、他の3基とは異なり、『上毛古墳綜覧』の発行時の1938 (昭和13)年には発見されていなかったのかもしれない。

そのためか、発掘調査の年月日も他の3基(1964年)と異なり、一基のみ1967年に行われている。

他の3基の調査(1964年)以降に発見され、それにより、1976年に4基まとめて史跡指定を受けたと思われる。

四戸の古墳群の石室は前半と後半では、石室の造り方が変化しているよう で、前半細長く高さもない、小さな川原石を積み上げた竪穴式のような横穴式石室だが、後半は巨石を使った よりダイナミックな造りになっている。

このIV号古墳は狭く細長い袖無型の石室であり、古墳群の前半期で、4基のうちでは2番目に造られたのではないかと推測する。
 




 


1号古墳の東側に所在

道路沿いの民家の入口にある

墳丘は崩れており、上部は
天井石と共に失われている

▲西側から

天井石を失った石室が見える

周囲に転がっている大き目の石は
天井石などに使われていたものか


▲南西向きに開口する

狭く細長い袖無型の石室は
1号古墳と共通する
 

▲北側から側壁

細長い川原石が横に並ぶ様子は
1号古墳III号古墳に共通する

▲奥壁と右側壁

この辺りは石の大きさも合わせて
理路整然と積み上げられている

▲南東から

上にのってみないと、石室の
穴が開いていることが分からない




▲東側から
畑と境が石垣になっている
 
所在地 群馬県吾妻郡東吾妻町大字三島字四戸85
(旧吾妻町)
アクセス
駐車場

前の道は狭いので、車の場合は厳しい。
III号古墳脇に車を停めて、歩いて見学すると良い
史跡指定 東吾妻町指定史跡 『四戸の古墳群』
1976年(昭和51年)3月30日指定
別名 (上毛古墳綜覧〈1938〉には記載無し)
鳳来塚?
築造年代 6世紀中
形状 円墳 直径:約8m
埋葬施設 横穴式石室(袖無型) 全長:約4.21m
埋葬部長:約2m、埋葬部幅:0.7m
出土遺物 埋葬施設:釘、馬具、武器、刀子、玉、ガラス玉
墳丘:埴輪片
発掘調査 1967年(昭和42年)4月23日〜年4月29日
群馬大学史学研究室
文献 『岩島村誌』 1971 岩島村誌編集委員会
『群馬県史 資料編3』 1981 群馬県
上毛古墳綜覧〈1938〉 群馬県古墳総覧〈2017〉
     

探検日(写真撮影日)  2018年10月30日
データ作成日  2018年11月07日

最新データ更新日
  2018年11月12日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 - 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
□内堀遺跡群 仮称大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財確認調査報告書 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群II 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群X 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概報 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1998)
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