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         まえふたごこふん(あらとむら51ごうこふん) / おおむろこふんぐん
 国指定史跡 前二子古墳(荒砥村51号古墳) / 大室古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


大室古墳群中の一基

大室古墳群は、国指定史跡となっている4つの前方後円墳を中心に、 約20基の古墳から成り、現在、大室公園内に6基が保存整備されている。

前二子古墳中二子古墳後二子古墳の3基の大方前方後円墳は、畿内でも大型の前方後円墳が造られなくなる6世紀初頭から後半にかけて相次いで築造された 。

この赤城山南麓にはこの古墳を取り巻くように1000基以上の古墳が存在したと言われているが、この3古墳に匹敵するほど大規模で、しかも隣接して3基並んでいるのは、群馬県でも他に例が なく、この古墳群を造営した豪族の威勢を思わせる。

この前二子古墳大室古墳群3大古墳のうちでは、最初に造られ、最も南に位置するので、古い時代には、「南辺大墳」「南陵」などの呼ばれ方もした。(下記別名参照)


石室の開口

石室発見の経緯として、「村人がキツネやムジナを追いかけて、穴を掘ったところ、偶然石室が発見された」などと報告されたらしいが、実際は、明治政府による陵墓探索の動きの中で、陵墓の治定を受けるべく、組織的、計画的に石室の開口が行われたようである。

1878年(明治11年)3月に石室が開けられたが、陵墓認定を見越して、精密な調査が行われた。

石室の様子や、副葬品の配列状態は、『古制徴証(こせいちょうしょう)』や県立文書館で保管する「根岸家文書」に記録されている。

この時代にこれだけの精度の高い記録図画は他に存在せず、貴重な資料となっている。
 

サトウによる日本初の化学分析

明治13(1880)年3月には、英国の外交官アーネスト・サトウが大室村を訪れ、前二子古墳の副葬品を丹念に調べて、「ANCIENT SEPULCHRAL MOUNDS OF KOUDZU-KE」『Journal of the Asiatic Society of Japan』(『日本アジア協会紀要』8巻、3号)の中で報告している。

また、石室内に塗られていた赤色顔料やガラス玉のサンプルを持ち帰り、日本で初めての科学的分析を行ったことでも注目される。
(結果は酸化鉄とカリガラス)


被葬者について

この古墳群は上毛野氏の墳墓ではないかと言われており、毛野氏の祖とされる崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命の墳墓であるという説もある

1875年(明治8年)、同じ前橋市の総社二子山古墳豊城入彦命の陵墓として治定され、墓掌・墓丁(墓を守る役職)が置かれたが、すぐに解除となり、代わりに、この前二子古墳豊城入彦命の陵墓として注目された。

実は、1871年の段階で、調査が行われていたが、総社二子山古墳豊城入彦命の陵墓として治定されたため、取り止めとなっていた。

1878年(明治11年)、この前二子古墳の石室が開けられ、豊城入彦命の陵墓として申請されたが、 決定的な根拠に欠くとして治定はされなかった。

この大室古墳群が築かれた頃、群馬県内では、前方後円墳を作る勢力が他にも複数存在していることから、上野国全体の支配者ではなく、赤城山南麓一帯を支配した豪族と考えられ、上毛野氏であったかは疑問である。 
 



▲北西側から

左が後円部、右が前方部
石室は反対側


▲南側から

後円部テラスに南向きに
開口している横穴式石室
 

▲後円部南側の石室開口部

入口にテラス状の祭壇が
見つかっているとのこと

▲扉石の前から羨道

全長14mにも及ぶ長く細長い
石室は上野地域の初期の特徴
 

▲かなり特殊な構造の石室

玄室と羨道を仕切る玄門は
狭く、楣石、梱石で仕切られ、
扉石で閉鎖される構造

▲玄室内の副葬品のレプリカ

石室全体はベンガラで赤く
塗られていたとのことである
床面は調査員がコンクリートと
間違えたほど、加工された白く
大きな凝灰岩が敷かれており
同時期には他に類例がない

敷石、仕切石、楣石、扉石など
の特色は九州地方の横穴式
石室に通じるようである
 

朝鮮半島との深いつながり

石室や棺を覆う際に使用したと思われるフックが見つかっており国内では最も古い例であるが、朝鮮半島でも例がある

アーネスト・サトウのスケッチで有名な四神の小像付筒型器台など数々の副葬品や、墳丘から出土した「石見型埴輪」などからも、朝鮮半島との密接な関わりが感じられる

「石見型埴輪」は大王墓や盟主的な首長墓に取り入れられることは少なく、新たに台頭してきた中小首長層に
採用されたとされ、朝鮮半島とのつながりを示す器物の一つとも考えられている

とすると、左記の被葬者の項の通り、この被葬者はやはり上野国全体の支配者(上毛野氏)ではなく、赤城山南麓一帯を支配した豪族とも考えられる
 


▲古墳前に設置の説明看板
 


▲前双子古墳墳丘測量図と
横穴式石室実測図
(前橋市教育委員会のパンフより)
 

▲古墳前に設置の説明看板

この東側に発見された豪族居館
跡(梅木遺跡)は前二子古墳
被葬者の館と推定されている
 
別名 荒砥第51号墳(上毛古墳綜覧)
内堀遺跡群 内堀遺跡 M-8号墳
南辺大墳(県庁文書 勢多郡西大室村大墳)
南陵(三王墳墓略記)
所在地 群馬県前橋市西大室町2657-4外 (旧荒砥村) 
史跡指定 国指定史跡 1927(昭和2)年4月8日指定 アクセス
駐車場

大室公園の駐車場は北側と南側の二箇所 
築造年代 6世紀前半
形状 前方後円墳 2段築成
全長:95m
前方部幅:60m 前方部高さ:9.5m
後円部径:70m 後円部高さ:11m
埋葬施設 横穴式石室 両袖型玄門付
粗粒輝石安山岩の乱石積
全長:14.5m 玄室長:5.15m
奥壁幅: 1.85m 玄門寄り幅:1.35m
奥壁高さ:1.35m(現在)
出土遺物 四神付器台、須恵器や土師器、玉塁、鉄地金銅製、字型鏡板、剣菱形杏葉等の馬具類、刀装具、鏡
周辺施設 【周堀】幅20mにもなる周堀と外周溝の2重の堀や溝
幅の広い堤(高さ 1.4m/幅 1.8m)で区画されている
【葺石】 上段墳丘
調査暦 (発掘)昭和27.7.9、平成3.7.22〜平成3.11.30
(測量)昭和32.8.28〜昭和32.8.31
更新履歴

探検日(写真撮影日)  2002年00月00日
第二回探検日(写真撮影日)  2016年03月03日
最新データ更新日  2019年09月05日

文献 『大室古墳群 史跡前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳ならびに小古墳 保存整備事業報告書』前橋市
『前橋市 大室古墳群』 前橋市教育委員会
東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
『内堀遺跡群、III、V』 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1998)
『前橋市史 第1、2巻』 1971 前橋市、『群馬県史 資料編3』 1981 群馬県
『上毛古墳綜覧』 1938 群馬県、『群馬県古墳総覧』2017 群馬県
旧写真 平成14年00月00日撮影

第一回訪問時には、まだ整備はされておらず、石室はブルーシートで覆われていた。
親切な近所の方(元の所有者?)が、開けて中を見学させて下さった。
【参考文献】
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
群馬の遺跡〈4〉古墳時代1―古墳
東アジアに翔る上毛野の首長 綿貫観音山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」119)
古代上毛野をめぐる人びと
東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
古代東国の王者―上毛野氏の研究

 


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上州路散歩24コース

著者:群馬県歴史教育者協議会
出版社:山川出版社(千代田区)
サイズ:新書/220p
発行年月:2004年01月
税込 1,470 円

上州路の散歩コースと散歩事典。東国一の古墳文化上毛野、江戸北辺の守り上州、近代化遺産の宝庫群馬、常に時代の先端であった上州の地を訪ねる。
【目次】
第1部 上州路散歩24コース(相沢忠洋ゆかりの地を訪ねる/古墳時代上毛野の豪族をしのぶ/赤城山南麓の古墳群を巡る/上野国府・国分寺周辺を歩く/上野三碑ゆかりの地をたどる/中世新田荘を歩く/上野の名城箕輪城周辺を歩く/白井城と白井宿を歩く/東毛の山城に戦国をしのぶ/上州真田氏ゆかりの地を巡る ほか)/第2部 上州路散歩事典
東国古墳時代の研究

著者:右島和夫
出版社:学生社
サイズ:単行本/394p
発行年月:1994年05月
税込 7,646 円

【目次】
第1章 保渡田古墳群の研究/第2章 上野における群集墳の成立/第3章 上野の初期横穴式石室の研究/第4章 上野における横穴式石室の変遷/第5章 角閃石安山岩削石積石室の成立とその背景/第6章 総社古墳群の研究/第7章 截石切組積石室の研究/第8章 古墳からみた5、6世紀の上野地域/第9章 古墳からみた6、7世紀の上野地域
群馬の遺跡(4)

著者:群馬県埋蔵文化財調査事業団
出版社:上毛新聞社
サイズ:単行本/177p
発行年月:2004年11月
税込 1,300 円

【目次】
第1章 古墳時代の群馬は元気だった―群馬古墳学入門/第2章 豪族居館の発見/第3章 埴輪と古墳と古墳時代/第4章 巨石横穴式石室と豪華な副葬品―綿貫観音山古墳とその被葬者/第5章 多田山の唐三彩が語る歴史/第6章 群馬における古墳研究の歩み―『発墳暦』から観音山古墳・三ツ寺1遺跡まで/学習へのいざない
群馬の遺跡(5)

出版社:上毛新聞社
発売日:2005/01/01
サイズ/ページ:21cm/
定価:1,301 円

目次:
第1章 こうして古墳時代は始まった
第2章 黒井峯遺跡の発見
第3章 水田と畠
第4章 炉からカマドへ、農民たちの生活
第5章 群馬県の古墳時代集落研究のあゆみ―入野遺跡から黒井峯遺跡まで
学習へのいざない
 

 

 



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