【総社古墳群中の一基】
総社古墳群は榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸に南北4kmに分布する。
5世紀から7世紀にかけて、連綿と築かれ、その規模や卓越した築造技術、優美な装飾品などから、東国を代表する古墳群の一つとされている。
丁間稲荷が鎮座するこの塚は、前橋市埋蔵文化財発掘調査団発行の資料に「丁間稲荷山古墳」の名称で記載されており、上毛古墳綜覧(昭和10年の調査)に記載の総社町5号古墳である可能性があり、候補地の一つである。
総社町5号でないとしても、古墳ではあるようなので、上毛古墳綜覧に記載漏れの、総社古墳群中の一基であることは間違いないと思われる。
【総社町12号と混同注意】
上毛古墳綜覧に記載の総社町12号古墳も稲荷山古墳と呼ばれている。
ネット上ではこの丁間稲荷を総社町12号古墳として、紹介するサイトが散見されるが、総社町12号は穂積稲荷山古墳とも言われ、ここから約2kmほど北に所在し、1988年、調査後に削平され、宅地化された。(「稲荷山古墳
1988 前橋市教育委員会」)
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【総社町5号古墳】
総社町5号古墳の所在地は、明確には分かっておらず、候補地が2箇所ある。
【1】所在地:総社町総社2923-16、2930(稲荷塚東3357)
群馬県古墳総覧〈2017や「群馬県遺跡台帳」(S49)で所在地を確認すると、
丁間稲荷より北西500mほどのところにあり、現在は住宅地を差している。(総社古墳群内の古墳分布図を参照)
1975年の空中写真でも現在と同じく宅地のようであるので、かなり早い時期に削平されたものと思われる。
【2】所在地:問屋町二丁目3-4
「上毛古墳総覧」には小字名が「稲荷塚東」となっており、「丁間稲荷」周辺の小字が記されているため、丁間稲荷山古墳の可能性もある。
ただし、この辺りは「稲荷塚」が入った小字名が多いので(稲荷塚北・稲荷塚南・稲荷塚道東など)、非常に紛らわしく、「上毛古墳総覧」編集時の錯誤の可能性も考えられる。
【2】は上毛古墳綜覧の「稲荷祠があり、杉と松が生えている」という記述とも矛盾はしない。
しかし、【1】にも、かつて、総社町12号のように稲荷社が鎮座する古墳が存在し
たのに削平され宅地化されたという可能性もあり、どちらとも断定しがたい。
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▲写真なし
丁間稲荷は天狗岩用水開削のための測量の基点であったといわれ、この塚の上から北を見通すと天狗岩用水が宝塔山古墳と愛宕山古墳の間を通っていることがわかるという。
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