【総社古墳群中の一基?】
総社古墳群は榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸に南北4kmに分布する。
5世紀から7世紀にかけて、連綿と築かれ、その規模や卓越した築造技術、優美な装飾品などから、東国を代表する古墳群の一つとされている。
その立地から、大きく南北二群に分けられ、この稲荷山古墳は北支群に入ると思われ
、所有者にちなみ、穂積稲荷山古墳と呼ばれることもある。
ネット上では、問屋町の丁間稲荷山古墳(総社5号候補)をこの稲荷山古墳(総社町12号)とするサイトが散見されるが誤りである。
【前方後円墳説も】
前方後円墳とする資料もあるが、上毛古墳綜覧(昭和10年の調査)には、円墳として記載されている。
住宅街の中に円丘部しか残存していなかったが、地元の人によるとかつては西側に墳丘が続いていたとの話もあり、元々は遠見山古墳や二子山古墳と主軸
(西:前方部、東:後円部)を同じくするような前方後円墳だった可能性もある。
埴輪は確認されているが、埴輪が消滅し、墳型が前方後円墳から方墳へと変わっていく直前の古墳と考えられている。
|