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        とおみやまこふん(そうじゃまち6ごうこふん) / そうじゃこふんぐん
前橋市指定史跡 遠見山古墳(総社町6号古墳) / 総社古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


総社古墳群中の一基

総社古墳群は榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸に南北4kmに分布する。

5世紀から7世紀にかけて、連綿と築かれ、その規模や卓越した築造技術、優美な装飾品などから、東国を代表する古墳群の一つとされている。

その立地から、大きく南北二群に分けられ るが、この遠見山古墳は北支群に入る。

現存する3基の前方後円墳中の一基で、古墳群では最初に造られたと考えられている。

古墳群について、その様相はまだ明らかではなく、史跡周囲の宅地開発も進み、保存に支障が生じているため、2017年(平成29年)度より5カ年計画で範囲内容確認調査が行われることになり、2017年(平成29年)度は、周辺開発のおそれがあるこの遠見山古墳の調査が行われた。


古墳名の由来

慶長9年(1604年)、総社城が築造された際、二の丸の中心部にあったこの遠見山古墳を利用して、遠見のための櫓が設置されたことから名づけられたと考えられている。


埋葬施設は横穴式石室?

現在までに数回発掘が行われているが、埋葬施設の発見には至っていない。

竪穴系であれば、後円部墳頂に存在する可能性が高いが、後円部墳頂には直径1.4m、深さ2mほどの盗堀坑が あり、埋葬施設には到達しておらず、竪穴系ではないのかもしれない。

古墳群で確認されている埋葬施設はいずれも横穴式石室で、竪穴系は2019年8月現在、発見されていないので、竪穴系であれば、古墳群初で唯一であるが、横穴式石室の可能性も高い。

いずれにしても、発見されれば、未盗掘であり、古墳群の解明に重要な遺物がそのまま残されいる可能性がある。
 



▲遠見山古墳全景
(『東国の雄 総社古墳群』より)

全景がとれなかったので
前橋市のパンフよりお借りした


▲遠見山古墳全景
(『東国の雄 総社古墳群』より)

墳丘は前方部が低いが、
後円部の中ほどは削平され
低くなっている
 

▲北側から

左が後円部
くひれ部付近に解説板
 

▲後円部墳頂

墳頂は削られ、低くなっている

▲南から前方部
 

▲南から後円部

▲現地解説板
総社地区史跡愛存会による
 


▲現地解説板
前橋市教育委員会による
 

所在地在地 群馬県前橋市総社町総社字給人城川甲1410他 アクセス
駐車場

前橋市の古墳地図
別名 惣社町6号古墳 上毛古墳綜覧〈1938〉
史跡指定 前橋市指定史跡
2010年(平成22年)3月19日指定
築造年代 5世紀後半(6世紀初頭とする資料もある)
形状 前方後円墳
埋葬施設 不明(未調査)
出土遺物 周堀:埴輪(円筒)
周辺施設 周堀、埴輪列、葺石
調査 (発掘)平成3.8.30、平成4.1.27〜平成4.2.3
平成29年度 範囲内容確認調査
文献 『平成3年度市内遺跡発掘調査報告書』 1992 前橋市教育委員会  

探検日(写真撮影日)  2018年08月18日
最新データ更新日  2019年08月19日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 - 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
□内堀遺跡群 仮称大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財確認調査報告書 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群II 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群X 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概報 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1998)
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