【総社古墳群中の一基】
総社古墳群は榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸に南北4kmに分布する。
5世紀から7世紀にかけて、連綿と築かれ、その規模や卓越した築造技術、優美な装飾品などから、東国を代表する古墳群の一つ。
この薬師塚は総社古墳群の中心部から離れて、最も北に位置する。
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【宅地開発のために破壊された】
前橋市史によると、1965年(昭和40年)、団地造成のため、破壊されそうになっていることを知り、急遽調査が行われた。(群大史研による)
その時には既に東半分と南の一部が削り取られ、南北17m、東西10mとなっており、東側に石室が露出した状態であったと言う。
結果、角閃石安山岩の石室であるということがあきらかになったのみだったということだ。
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▲写真なし(撮り忘れ)
墳丘上には石室材らしき
ものが残っている |