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         うしろふたごこふん(あらとむら55ごうこふん) / おおむろこふんぐん
 国指定史跡 後二子古墳(荒砥村55号古墳) / 大室古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


大室古墳群

大室古墳群は、国指定史跡となっている4つの前方後円墳を中心に、20数基の古墳から成り、現在、大室公園内に6基が保存整備されている。

前二子古墳中二子古墳後二子古墳の3基の大方前方後円墳は、畿内でも大型の前方後円墳が造られなくなる6世紀初頭から後半にかけて相次いで築造された 。

この赤城山南麓にはこの古墳を取り巻くように1000基以上の古墳が存在したと言われているが、この3古墳に匹敵するほど大規模で、しかも隣接して3基並んでいるのは、群馬県でも他に例が なく、この古墳群を造営した豪族の威勢を思わせる。
 


大室古墳群分布図
 

内堀遺跡群

「大室公園」として大々的に整備するにあたり、公園予定地内の埋蔵文化財が調査されたが、その総称を内堀遺跡群という。

便宜上、内堀遺跡、上縄引遺跡など別の名称をつけられてはいるが、3基の大型前方後円墳を中心とした一つの古墳群を形成している 。

古墳名についているMは古墳(マウンドか?)の略称で内堀遺跡では6基数えられている。
他にH(住居跡)、C(周溝墓)、Z(石槨墓)などの多数の遺構が確認されている。
 

被葬者について

この古墳群は上毛野氏の墳墓ではないかと言われており、毛野氏の祖とされる崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命の 三世孫に当たる御諸別王の墳墓であるという説もある 。

総社古墳群総社二子山古墳豊城入彦命の陵墓として 明治政府に治定された後、すぐに解除となり、その代わりとして、1878年(明治11年)、前二子古墳と共に、石室が開けられ、それぞれ豊城入彦命御諸別王の陵墓として申請されたが、 決定的な根拠に欠くとして治定されなかった

被葬者は石室から発見された耳環より、少なくとも6人はいたと考えられており、繰り返し追葬が行われたものと思われる。

発見された歯を鑑定した結果、熟年女性のものだった。

また、軸を同じくし、寄り添う小二子古墳は同時期に造られ、石室の造営法や墓前祭祀などの共通点も多く、関わりの深い人物の墳墓と考えられている。
 



▲北側から
 


後二子古墳

大室古墳群の3大前方後円墳の一基で、最も後に造られ、規模も最も小さい。

3基のうちでは最も北のため、古い時代には、「北辺大墳」「北陵」などの呼ばれ方もした。(下記別名参照)

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査で、荒砥村に365基の古墳が確認されているうちの荒砥村55号古墳と採番されている。

大室公園内の内堀遺跡群内の古墳としては、M-10号墳とされている。

1927年(昭和2年)、北西に隣接する小二子古墳と一括で、『後二子古墳ならびに小古墳』の名称で国の史跡に指定された。
 

下野型に近い墳丘

墳丘第一段目(基壇)が幅広く、二段目が小さく造られる墳丘の造り方は、栃木県の吾妻古墳に代表される下野型古墳の特徴の1つであるが、6世紀後半、群馬でもこの形式が流行した 。
(左の測量図参照)

ちなみ、下野型古墳は内部主体が前方部基壇上で、後円部には造られないなどの特徴もあるが、こちらは 後円部に半地下式の石室が造られるという違いもある。
 

石室の開口

1878年(明治11年)3月、前二子古墳と共に石室が開けられた。
中二子古墳は石室が発見できず、小二子古墳は小さいせいか開けられなかったようだ)

明治政府による陵墓探索の動きの中で、陵墓の治定を受けるべく、組織的、計画的に石室の開口が行われたようである。 
 

省エネの石室の造営方法

小二子古墳と同様、半地下式の横穴式石室となっている 。

墳丘下段の平坦面を一部掘り込むことで、テラス上に石室を設置した時より、盛り土量を少なくする工夫がされている。


石室前での葬送儀礼

半地下式の為、地面を掘り込んで入口まで墓道が造られている。

墓道両側のテラス面から土器類が出土し、その特徴から葬られる死者と最後の飲食を共にする儀式が行われたと考えられている。
 


▲南西から
 

後二子古墳小二子古墳
墳丘測量図
(前橋市教育委員会のパンフより)
 

▲玄室から見た石室内部と続く墓道
(前橋市教育委員会のパンフより)
 

▲石室の開口部へと続く
墓道と復元された埴輪列
(前橋市教育委員会のパンフより)
 

▲横穴式石室の実測図
(前橋市教育委員会のパンフより)
 


▲古墳北側に設置の説明看板


「親子猿」と「犬」の小像が
側面についた円筒埴輪


極めて珍しい事例
 


▲大阪府四天王寺宝物館所蔵の
伝群馬出土「人が乗る馬形埴輪」

同じ製作者の埴輪が出土した
 
史跡指定 国指定史跡 『後二子古墳ならびに小古墳
昭和2年4月8日指定
所在地 群馬県前橋市西大室2616・2617
(旧荒砥村)
別名 荒砥第55号墳(上毛古墳綜覧)
内堀遺跡群 内堀遺跡 M-10号墳
北辺大墳(県庁文書 勢多郡西大室村大墳)
北陵(三王墳墓略記)
アクセス
駐車場

▲大室公園の駐車場は北側と南側の二箇所 
前橋市の古墳地図
築造年代 6世紀後半
形状 前方後円墳 2段築成
全長(堀含む):106m 墳丘長:85m
前方部幅:55m 後円部径:48m 後円部高さ:11.1m
埋葬施設 両袖形の横穴式石室 単室構造(玄室、羨道)
全長:8.9m 玄室長さ(右側壁):4.7m
幅:2.6m 高さ:約2.3m
出土遺物 【石室】 大刀2振、大刀金具3、小刀2振り、鉄鏃若干
金環11個、轡片、高坏
【石室の入口前(儀式用の土器?)】 
土師器(甕、鉢、坏)、須恵器(高坏等)、鉄器等(小刀等)、焼土(火を焚いたあと)
【墳丘の埴輪列】犬、鶏、家などの埴輪
周辺施設 【周堀】
【墓道】石室前面に溝状に地面を掘り込んだ
深さ0.9m 幅2m 長さ12m
調査暦 (発掘)昭和27.7.9、平成3.7.22〜平成3.11.30
(測量)昭和32.8.28〜昭和32.8.31
更新履歴

探検日(写真撮影日)  2002年00月00日
第二回探検日(写真撮影日)  2016年03月03日
最新データ更新日  2020年07月22日

文献 『大室古墳群 史跡前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳ならびに小古墳 保存整備事業報告書』前橋市
『前橋市 大室古墳群』 前橋市教育委員会
東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
『内堀遺跡群、III、V』 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1998)
『前橋市史 第1、2巻』 1971 前橋市、『群馬県史 資料編3』 1981 群馬県
『上毛古墳綜覧』 1938 群馬県、『群馬県古墳総覧』2017 群馬県
旧写真 平成14年00月00日撮影
【参考文献】
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
群馬の遺跡〈4〉古墳時代1―古墳
東アジアに翔る上毛野の首長 綿貫観音山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」119)
古代上毛野をめぐる人びと
東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
古代東国の王者―上毛野氏の研究
 

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