↑東側より撮影。手前が後円部、奥が前方部になっているようだ。
竹などが生い茂る雑木林になっていて、一見、古墳には見えない。
この右手に赤木神社と御廟古墳がある。
↓上の写真の左手に回った木々の奥、南向きに開口している。
↑生い茂った竹や草木の間に隠れていて分かりにくく、撮影も困難。
奥壁のみが残存しているよう。奥壁の鏡石には白土を塗った形跡が
あるというが……?
奥壁の手前1.3mに置かれていたという家形石棺は不明。
↓石室の手前側に落ちている巨石。側壁や天井石の一部か?
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菅ノ沢古墳群の一基。
【古墳の種類】
前方後円墳
【古墳のサイズ】
墳丘全長約56m
前方部前端幅約44m
後円部直径約29m
【築造年代】
6世紀末から7世紀初頭
【調査暦】
急傾斜地の崩壊対策工事に伴って、1994年に南側の前方部の裾部
1995年、後円部の一部と埋葬施設
1997年、墳丘規模と形態確認
【埋葬施設】
・横穴式石室
・両袖型
・家形石棺 奥壁の手前1.3mに置かれていた。
・天井石と側石は盗掘により多くが抜かれていた。
・玄室長さ5.7m、
・玄室幅2.2m
・羨道部長さ4.8m
・羨道部幅1.3m
【家形石棺】
蓋と身に分かれ、暗灰色の安山岩の巨石をくりぬいて成形。蓋は、四注造りの屋根形、縄掛突起が羨道側に2カ所見られる。
・蓋部全長191cm
・幅105cm
・高さ45cm
・身部全長185cm
・幅97cm
・高さ54cm【出土遺物】
・石棺の内部より金銅製耳環2、石室内より須恵器、直刀、短刀、鍔
・羨道部からコイル状金銅製品や筒形銀銅製品
【周堀】
前方部北側で幅2.5mの浅い掘り込み。
後円部東側でも浅い周堀の痕跡
【被葬者】
太田市北東部を治めていた最有力首長と推定。 |