【旧横野村の古墳】
1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、
旧横野村(→旧赤城村→渋川市)で33基の古墳が確認されている(横野村1号〜33号古墳)。
「群馬県古墳総覧〈2017〉」には旧横野村地区に新たに確認された古墳など15基を加え、48基の記載がある。
渋川市域は古墳時代に二度起こった榛名山の大噴火によって甚大な被害を受けた地域であり、津久田甲子塚古墳に代表される噴火による軽石に埋もれた遺跡は多いため、未だに多くの古墳が地中に埋もれている可能性がある。
【上三原田古墳群】
「上毛古墳綜覧〈1938〉」では、上三原田地区に6基(横野村11号〜16号古墳)の記載があり、三原田の横野村5号〜10号墳の6基まで含めると、計12基の記載がある。
「群馬県古墳総覧〈2017〉」には
、上三原田地区に、上三原田東峯遺跡内で確認された1基の古墳、その他、三原田地区には3基の古墳を追加し、16基(上三原田地区7基、三原田地区9基)の古墳の記載がある。
1999年に発掘調査された上三原田東峯遺跡無名古墳の項には「上三原田古墳群」とあり、上記の古墳を含み、古墳群を形成していたものと思われる。
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▲東から
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【地蔵塚古墳】
1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、横野村14号古墳と採番されている。
名称は「地藏塚」となっており、発掘しておらず、出土品、由来はなしとなっている。
古墳調査票には古墳のスケッチ図がついている。(下図)

▲1935年(昭和10年)調査時の
スケッチ図
「群馬県古墳総覧〈2017〉」には
、調査歴は書かれていないが、マッピングぐんまには、調査範囲(年度なし)のみ書かれている。
三原田地区は年々調査が行われている地区なので、近年、何らかの調査が行われたのかもしれないが、詳細は不明。
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