【綿貫古墳群中の最大】岩鼻町〜綿貫町にかけて、5世紀中頃から6世紀後半の間に、計画的に築造された大型の前方後円墳4基と周囲の円墳群から成る綿貫古墳群の主墳とされる4基の前方後円墳のうちの最大の一基だが既に消滅
。
4基のうちでは三番目の築造。
【設計企画の同一性】
古墳の築造プランは約300m北の不動山古墳と同様、太田天神山古墳【太田市】や、お富士山古墳【伊勢崎市】と相似すると推定されてる
。
また、石棺の縄掛け突起は伊勢崎のお富士山古墳出土した長持形石棺と同様の特徴を持つ
。
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▲1935年に「岩鼻日本火薬所」の
拡張のため、付近に存在した
帆立貝式古墳や円墳と共に
削平され、消滅したらしい
上毛古墳綜覧〈1938〉作成時
には削平されてしまったため
『番外ノ2号墳』と成っているのか
大量の埴輪が出土し、
また乱掘の跡があったとのこと |
▲「不動山古墳と綿貫古墳群」
約300m北の不動山古墳の前に
ある綿貫古墳群の解説板 |