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吉岡町指定史跡 南下A号古墳 / 南下古墳群
 

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南下古墳群中の一基

南下古墳群は6世紀半ば〜7世紀末の間に築造され、時期により石室構造や構築技術などに差異がある 。

現存している9基のうち、南下古墳公園に整備されている6基の中の一基。
 

載石切組積(きりいしきりくみづみ)

截石切組積(古墳時代後期の横穴式の石室における、側壁の石組技法)の手法を駆使した極めて美しい石室。

石材は主に角閃石安山岩を用い角は全て直角に加工し、随所に切り組(隣り合わせの石の形状に合わせて石を加工する技法)の手法を取り入れている。


作業用の朱線

玄室及び羨道の壁面に石材加工。壁対構成の際の作業線と推定される朱線が発見されているが、他に、E号古墳上庄司原4号古墳(富士見村)でしか確認されていない極めて珍しいものである 。
 


▲南下A号古墳石室実測図


▲石室前の開設版
吉岡町教育委員会による
 



▲北側から
斜面に構築された山寄せ形式

北側(斜面の高い方)から見ると、
背がそれほど高くは見えない
 


▲東側から
北高南低の斜面で、写真右が高い

歩道から南に下ると、横穴式
石室の開口部と説明看板がある

▲石室入口の脇に説明看板と碑

以前の訪問時(2003年)には
中に入ることも出来たが、現在は
柵と「キケン」の看板で塞がれている

町の教育委員会に連絡すれば
見学は可能とのこと
 

▲羨道から玄門、玄室

柵の間からカメラを突っ込んで撮影

見事に直角に切り揃えられた
石材が隙間なく組まれている
 

▲羨道部の天井

緑のコケ状の物に
覆い尽くされていた
 

▲玄門から玄室

玄室の壁面は最終的に漆喰で
塗りこめられていたらしい
別名 明治村54号古墳(上毛古墳綜覧〈1938〉) 所在地 群馬県北群馬郡吉岡町大字南下字宮代1315-1
史跡指定 吉岡町指定史跡 「南下A号古墳」
1982年(昭和57年)5月1日
1993年(平成5年)12月1日
吉岡町指定史跡 「南下古墳群6基(A〜F号古墳)」
2010年(平成22年)3月24日
アクセス
駐車場

南下古墳公園内に整備されている
駐車場有
築造年代 7世紀末葉
形状 円墳(二段構築、山寄せ形式)
径:約27m×約20m 高さ:約4m
埋葬施設 横穴式石室(両袖型、載石切組積)
羨道長:3.25m 羨道幅:1.58m 羨道高:1.55m
玄室長:3.25m 玄室幅:2.4m 玄室高:2.4m
出土遺物 古い開口のため所在は不明
周辺施設 葺石、埴輪、周溝等不明(未調査)
埴輪は破片も発見されておらず、ない可能性が高い 
発掘調査 (発掘)昭和24.12.21
(測量)昭和24.12.25〜昭和24.12.27
文献 『北群馬・渋川の歴史』 1971 北群馬渋川の歴史編纂委員会 『群馬県史 資料編3』 1981 群馬県
日本古墳大辞典 上毛古墳綜覧〈1938〉、群馬県古墳総覧〈2017〉
 

探検日(写真撮影日)  2003年07月13日
第二階探検日(写真撮影日)  2018年10月30日
データ作成日  2018年11月18日

最新データ更新日
  2018年11月21日

旧写真 2003年07月13日撮影


▲以前の南下古墳群のパンフ
【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 - 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
□内堀遺跡群 仮称大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財確認調査報告書 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群II 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概文化財発掘調査団(1989)
□内堀遺跡群X 大室公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査概報 前橋市埋蔵文化財発掘調査団(1998)
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