【南下古墳群中の一基】南下古墳群は6世紀半ば〜7世紀末の間に築造され、時期により石室構造や構築技術などに差異がある
。
現存している9基のうち、南下古墳公園に整備されている6基の中の一基。
石室の構造、石材の加工法等から7世紀末の築造で、南下A号古墳より若干新しい時期のものと考えられ、古墳群中では最も新しい
【載石切組積(きりいしきりくみづみ)】
側壁は長方形に加工した石材を4、5段に、奥壁は3,4段に積み上げ、切り組(隣り合わせの石の形状に合わせて石を加工する技法)の手法を用いている
壁面は10度前後内傾する(転び)
玄室と羨道の境の玄門は加工石材を二段積みしている
【作業用の朱線】
玄室及び羨道の壁面に石材加工の際の作業線と推定される朱線が発見されているが、他に、南下A号古墳、
前橋市(旧富士見村)の上庄司原4号古墳でしか確認されていない極めて珍しいものである
▲南下E号古墳石室実測図
▲石室前の開設版
吉岡町教育委員会による
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▲西側から墳丘全景
墳頂が平らで背が低く見える
石室構造からみて、古墳南面には
前庭が存在する可能性が高い |
▲南西向きに開口する石室
羨道部分は天井石を失い
側壁も上部を欠いている
土砂で埋没している
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