【平成22年、古墳公園化された】南下古墳群のA号からF号までの6基が公園の敷地内に整備され、F号を除いた5基は横穴式石室を見学することができる
6世紀半ば〜7世紀末の間に築造され、時期により石室構造や構築技術などに差異がある
技術の変遷の過程を一箇所で学ぶことができる貴重な古墳公園となっている。
【南下古墳群】
南下古墳群は吉岡中学校南方の丘陵から溝祭地区にかけて分布する町内でも有数の古墳群
かつて100基以上あったが、現存するのはわずか9基のみ
(資料不足で詳細は不明だが、南下A号〜F号の6基に加え、大林2号〜3号、宮代古墳の9基と推察する)
下記の一覧表の上から9基
南下古墳群をA号からE号の5基とし、A号とB号の2基のみが町指定史跡とされることが多いが、
現在は大林1号をF号として加えた6基を公園内に整備し、一括して、「南下古墳群」として町の史跡として指定したようだ
▲以前の案内版
A号からE号のみで、大林1号(現在のF号)は丸印があるだけ
以前は一帯は私有地で、住宅や施設が建てられていたが、現在は公有地化され、鶏舎があった場所は公園駐車場となった
▲以前の南下古墳群のパンフより
A号からE号のみF号はない
【築造順と技術の変遷】
C号(6世紀中頃〜後半)
自然石乱石積
玄室と羨道の別がない細長い石室
↓
D号(7世紀前半)
自然石乱石積
玄室と羨道を玄門で分けている
↓
B号(7世紀中頃)
主に自然石乱石積だが
玄門に切り石加工が見られる
↓
A号(7世紀後半)
載石切組積の見事な技術
↓
E号(7世紀末頃)
載石切組積の見事な技術
F号は石室が現存せず不明
▲公園駐車場にある説明看板
▲以前の南下古墳群のパンフ
▲以前の南下古墳群のパンフ
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