【1993年まで竹林に埋もれていた】宅地造成に伴う事前の竹林伐採作業中に古墳状隆起が確認され、調査に至ったという
。
それまで、県の遺跡台帳にも記載がなかったというが、「群馬県古墳総覧〈2017〉」の一覧表によると、上毛古墳綜覧〈1938〉には記載され
、番号を割り振られていたようだ。
1935年の県下一斉の古墳調査で確認された後、竹林に覆われ、忘れ去られていたのだろうか。
【畿内以外では2例しかない八角墳】
八角形墳は、天皇および皇族にのみ用いられる形式と考えられており、全国でも7例(2015年現在・詳細は後述)しか見つかっていない大変貴重なものである
。
しかも、中心の関西から遠く離れた群馬県で採用された背景やこの古墳の被葬者(天皇、皇族ではなくこの地域の首長?)の性格など、大変意味が深い。
▲現地の解説板
(吉岡町教育委員会による) |
▲北側から
葺石で覆われ異様な感じ
▲上空から(パンフより)
台形状の前庭には石が
敷き詰められている
▲三津屋古墳墳丘実測図
玄室奥壁an style="FONT-SIZE: 11pt">を中心として
、
墳丘の規模が決められており、
同心円の中に墳丘と周堀が
収められ、石室主軸
をほぼ真北に
向け、八等分されている
(一角がほぼ135度)
また、約30cmを1尺とする唐尺が
使用されたものと考えられる
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▲破壊された石室の根石
古墳内部見学施設があり、
石室根石状況並びに土層断面を
発掘調査時のまま展示してある
石室は著しく破壊されており、
奥壁石や側壁根石の抜き取り
跡から自然石乱石積と推測される
▲南に開口する石室(パンフより)
基壇部が石室入口の前で切れ、
台形の前庭をもつのは、2km
ほど北東に移築復元されている
滝沢古墳(円墳)と良く似ている
▲発掘・復元作業中(パンフより)
角形の角は大きめの河原石を
通し目状に積み上げ、
強調されている
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