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あじきたいしこふん(たいしかろうどこふん)
安食太子古墳(太師唐櫃古墳)

【AJIKI-TAISHI Mounded Tomb (TAISHI-KAROUDO)】
探検日(写真撮影日)  平成15年04月29日
データ作成日  平成15年12月11日
最新データ更新日  平成18年09月28日

史跡指定 茨城県指定史跡 昭和52年5月2日指定
所在地 茨城県霞ヶ浦町安食734-1 アクセス 霞ヶ浦町の古墳地図
見学 自由

↑現在は後円部の横穴式石室が開口しているのみで、前方後円墳であったということは分からない。

【種類】
前方後円墳

【サイズ】
全長 60m

【周辺施設】 周堀

【築造年代】 古墳時代後期

【石室発見の経緯】
明治23年、開墾の際に発見された。その後、大正年間に、大野延太郎(雲外)氏によって、装飾古墳として発表され、茨城県南部ではまれなる貴重な古墳として注目を集めた。
【唐櫃】
からひつ。からうど。からと。からうず。かろうと。
脚が4本または6本の、かぶせぶたのついた方形で大形の箱。衣服や、図書・甲冑(かっちゅう)などを入れた。長(なが)唐櫃・荷(にない)唐櫃などがある。辞書には載っていなかったが、石棺のことも指すようだ。石棺が出た古墳などが唐櫃古墳、唐櫃山古墳などの名で呼ばれることがある。

土地の人々は「太子のカロウド」と呼んで親しんでいるらしい。

【埋葬施設】

・横穴式石室
・石材は雲母片岩
・玄室側壁は二個の石で組まれている。
・玄室奥壁は一枚岩。
・羨道部側壁は小口積み。

全長:3.86m
羨道長さ:1.5m
玄室幅:2.3m
高さ:1.35m


←石室実測図
奥壁の前に石棺らしきものがある。

他に土壙墓の跡も発見されている。
 

↑かすかに残る朱の丸紋。
たまたま居合わせた別の見学者の方が照らして下さった強力ライトにより、きれいに撮影できた。この場を借りて感謝申し上げたい。
【装飾】
玄室左右の壁面に朱の丸紋が多数描かれている。
明治時代の報告では,左側壁に赤い色彩による円文が5段くらいに配列されており,その大きさは不整。
現在はほとんど消滅している。

発見当時の丸紋の図→ 

【出土遺物】
石室内部より
2遺体分の人骨と銀環、直刀、刀子、須恵器等が出土。 


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