古墳の森TOP茨城県の古墳結城郡八千代町



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八千代町指定史跡 若古墳 と 若所在の富士塚
 

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若古墳群?

結城郡八千代町若(西中宿)の、若行政区運動広場の南側に所在する。

以前、このあたり一帯が山林であった時は他にも数基の古墳があったということから、古墳群が形成されていたと考えられているが、現在は単独で存在している。

全長21mというのは、前方後円墳としては極めて小型で、古墳時代後期(7世紀〜8世紀)の古墳と推定されている。

大化2年(646年)の薄葬令により、巨大な前方後円墳が造られなくなり、古墳の縮小化が進み、円墳、方墳が主流になった時期に、無理矢理、形だけ前方後円墳にしたために、このようなミニサイズになったのだろうか?


古墳と分からないほど、墳丘は低く、看板がなければ、北側にある塚と間違えるところだった。



▲北側から

墳丘が低すぎてよく分からない
 



▲史跡の看板

看板があるのでここだと分かる

▲東から

若干の盛り上がりが感じられる
 

▲北側、運動広場からの遠景

遠目では全く分からない
 

大字若(字西中宿)所在の 富士塚



▲北側から


  
▲南側から  


▲西側から

若古墳のすぐ北側に所在し、若古墳より遥かに立派で古墳らしく見える
 


富士塚

西中宿遺跡(奈良・平安〜近世以降の集落跡)の範囲内にある。

頂上に浅間神社の石碑があるとのことで、富士浅間信仰による塚であるようだ。

若古墳に近接しているので、土台に古墳を利用したのかと思ってしまうが、違うようである。。

ちなみに、南西600mほどのところに所在する「熊野堂古墳」もその名の通り、古墳と思われていたが、1998年の調査の結果、中世の供養塚と判明し、隠滅した。
 

史跡指定 八千代町指定第17号史跡
1986年(昭和61年)3月28日指定
所在地 茨城県結城郡八千代町若西中宿1001外
所有者:安楽院、他
別名 遺跡ID 町(022) 「いばらきデジタルまっぷ」  アクセス
駐車場
 
築造年代  
形状 前方後円墳
全長:約21m
埋葬施設  
出土遺物  
周辺施設  
調査歴 1986年(昭和61年) 測量調査
文献   更新歴

探検日(写真撮影日)  2020年03月23日
最新データ更新日  2019年07月23日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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旧写真  

 

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