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せいばるこふんぐん
清原古墳群
【Seibaru Mounded Tombs】
探検日(写真撮影日) 平成17年08月26日
データ作成日 平成20年12月14日
最新データ更新日 平成20年12月14日
探検日誌・ブログ版

史跡指定 国指定史跡 昭和26年6月9日  追加指定 昭和51年6月26日 昭和60年1月16日
所在地 熊本県玉名郡和水町(旧菊水町) 万世の都内 肥後古代の森/菊水地区アクセス  Yahoo!地図
 熊本県の風土記の丘整備事業の一環で、『肥後古代の森/菊水地区』として整備されている。
 また、町ではこの古墳群や民家村、江田水辺公園を含めた広大な公園を『万世(ばんせい)の都』 として整えているようだ。

 なお、古墳群があった菊水町は、2006年の春の三加和町との合併で『和水(なごみ)町』となっている。
 旧菊水町のHPでは、これらの古墳の詳細を紹介していたようだが、現在は削除されていて、閲覧できない。
 和水町のHPでは、ま古墳などの文化財のデータは確認できなかった。

 通常、古墳の情報や詳細データはその市町村のHPで、教育委員会などの文化財を担当する部署で公開しているものを採用することが多いが、今回は残念ながら、情報が得られなかった。
清原古墳群
前方後円墳3基、円墳1基。(石棺1基?)
うち前方後円墳3基は『江田船山古墳 附 塚坊主古墳・虚空蔵塚古墳』との名称で一括して国指定史跡として登録されている。
江田船山古墳
『銀象嵌銘文大刀』で脚光を浴びた。横口式石棺は保存施設で保護されていて、見学できる。
虚空蔵塚古墳
円墳と思われていたが、帆立貝式の前方後円墳であることが判明した。
塚坊主古墳
復元整備されている。肥後型の横穴式石室は保存施設で保護されているが、見学は不可か。
京塚古墳
きれいに復元された円墳。この古墳群中では唯一、国指定に指定されていない。
付近出土の石棺

『清原』→『せいばる』ならば『清水原』は何と読むのだろうか?
大分県臼杵市の清水原は『そうずばる』と読むらしいが。
データがなく、詳細は不明だが、仮に清原古墳群の中に含めておく。
【清水原石棺】

このすぐ側の県道拡張の際に出土したもの。
塚坊主古墳の側に埋め戻されていたが、現在は掘り出して、塚坊主古墳の脇の芝生の広場の一角に展示されている。

【年代】
 5世紀前半

【種類】
 家型石棺
←本体は石材を合わせた、組み合わせ式の要に見える。
蓋は刳り抜き加工したよう。突起もついている。

盗掘を受けていたようで、出土品はなかったよう。

石棺のみということは、墳丘が失われていたのか、墳丘がないタイプの石棺墓だったのか?

その他
石人の丘

京塚古墳のすぐ前にある。
この周辺から、県指定重要文化財・清原石人(せいばるせきじん)等が発見されたということだ。

もしかしたら、京塚古墳か、または清原古墳群中の古墳に建てられていたものか。

また、県内各遺跡から出土した石人・石馬などの複製品が展示されている。

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九州考古学散歩

著者:小田富士雄
出版社:学生社
サイズ:単行本/324p
発行年月:2000年06月
税込 2,310 円

倭人伝の舞台!九州の遺跡・古墳を歩く。邪馬台国は九州にあったか?倭人伝の国々の遺跡から隼人の装飾古墳まで対馬・壱岐・九州各地の遺跡・古墳をめぐる詳しいガイドブック。

【目次】
「奴国」を求めて/太宰府周辺をまわる/「伊都国」を歩く/ムナカタ族の本拠地を訪ねて/遠賀川流域の遺跡をめぐる/朝倉宮の謎を求めて/耳納山麓と筑後川中流の遺跡をさぐる/磐井の里を歩く/「豊の国」の遺跡をめぐる/宇佐神宮から「風土記の丘」へ〔ほか〕
東アジアと江田船山古墳

著者:玉名歴史研究会 /白石太一郎
出版社:雄山閣
サイズ:単行本/206p
発行年月:2002年06月
税込 2,835 円

金銅製装身具や銘文をもつ大刀を出土したことで有名な熊本県江田船山古墳をめぐるシンポジウムの記録。5世紀後半〜6世紀前半の日本を東アジア的視点からとらえる。

【目次】
第1部 船山古墳の主は誰か(土蜘蛛津頬のクニ/船山古墳の墓主は誰か/船山古墳被葬者像研究略史/菊池川流域における首長墓の変遷―阿蘇谷とのかかわり/熊本の古墳からみた船山古墳)/第2部 磐井の乱をめぐって(磐井の乱とその後の肥筑/菊池川流域の装飾古墳/磐井の「乱」及びそれ以降について)
九州古墳時代の研究

著者:宇野愼敏
出版社:学生社
サイズ:単行本/342p
発行年月:2003年10月
税込 9,240 円

古墳の発生から終末期まで九州古墳時代の全貌に迫る。

【目次】
第1章 発生期・前期古墳時代の研究(石棺から石室へ―北部九州における古墳発生の推移と画期/豊前北部・筑豊地域の墳墓について―古墳発生期前後の社会像 ほか)/第2章 中期古墳時代の研究(北九州市内出土の古式須恵器/五〜六世紀の豊前北部と筑豊 ほか)/第3章 後期古墳時代の研究(北九州市・曽根平野の古墳(前方後円墳を中心に/後期小古墳群の動向とその背景)/曽根平野における古墳時代後期の土師器について(甕小考/ムラの交流) ほか)/第4章 古墳時代終末期の研究(北部九州の終末期古墳/勝円式土器小考―周防灘式製塩土器について)
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