【根岸古墳群の一基】200mほど北東の柊塚古墳と共に根岸古墳群を形成する
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かなりの大型円墳であったが、1943年(昭和18年)4月に小学校校庭の拡張工事のため父兄3千人によって破壊されたとのこと。
(写真右下:破壊前に撮影したものと思われる)
「一夜塚古跡保存会」なるものが存在し、また、東圓寺にも一夜塚供養塔があるところを見ると、地域の人々の思い入れの深い古墳だったと思われ、破壊することについては、相当の反対もあったのではないだろうか。
大きな古墳ではあるが、右下の分布図を見る限りでは、校庭の隅に位置しており、さして邪魔にはならないように見えるので、児童への歴史、文化の生きた教材としても、残すことは出来なかったものかと残念でならない
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【被葬者は柊塚の主の夫?】
地元では、柊塚古墳の被葬者はこの一夜塚古墳の主の妻の墓だという言い伝えがある
被葬者の妻が古墳の前で一晩中泣き明かしたため一夜塚の名になったと言われる
また、一夜で古墳を築かせたほどの権力者に因むという説もある。
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▲校門入ってすぐ左手にある
『一夜塚古墳址』の碑
(昭和27年3月)
北西800mほどにある東圓寺にも
一夜塚供養塔が建立されている
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▲石碑の脇の看板
一夜塚古跡保存会による
『勉学のすすめ』として
児童に向けたメッセージと
石碑の裏の碑文が記されている
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