【飯塚・招木古墳群】
荒川左岸の寺尾の河岸段丘上、南北1,300m、東西300mにわたり展開されている秩父地方最大の群集墳で、大型円墳を小型円墳が取り巻くようにして構成されているが、方墳が存在する可能性も指摘されている。
2020年現在の秩父市のHPでは129基となっている。
埴輪を伴っておらず、副葬品も乏しいことから、埴輪が消滅した後、副葬品を埋葬する風が衰退した、7世紀後半から8世紀前半にかけて郷戸主(※)層が築造した古墳群と考えられている。
【道沿いで半壊】
飯塚・招木古墳群は大きく飯塚、招木地区に分かれており、103号〜104号墳は北東側の招木地区に
所在する。
北を通る「招木古墳通り」 から南に入った道沿いの西側の雑木林内にある古墳群では中規模の円墳。
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▲東側から103号墳
1973年(昭和48年)の調査報告書によると、「芋室(芋を貯蔵庫?)」が設けられている。
「芋室」は石室を利用したものかと思ったが、調査報告書には「芋室」についての記載はあるが、玄室が露出しているとは書かれているないので、後世、玄室とは別に「芋室」を作ったのかもしれない。
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▲南側から104号墳1973年(昭和48年)の調査報告書に
「玄室は芋室」との記載がある。
玄室を「芋室」として利用したのかもしれないが、調査報告書では103号墳と同様、玄室が露出した古墳としては数えられていない。
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