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           いいづか・まねき89ごうふん / いいづか・まねきこふんぐん
埼玉県指定史跡 
飯塚・招木89号墳 / 飯塚・招木古墳群

※写真は全てクリックで拡大します※


飯塚・招木古墳群

荒川左岸の寺尾の河岸段丘上、南北1,300m、東西300mにわたり展開されている秩父地方最大の群集墳で、大型円墳を小型円墳が取り巻くようにして構成されているが、方墳が存在する可能性も指摘されている。

2020年現在の秩父市のHPでは129基となっている。

埴輪を伴っておらず、副葬品も乏しいことから、埴輪が消滅した後、副葬品を埋葬する風が衰退した、7世紀後半から8世紀前半にかけて郷戸主(※)層が築造した古墳群と考えられている。

石室の入口はみな、南の武甲山の方向に向いており、武甲山に対しての信仰があったのかもしれない。


復元された89号墳

飯塚・招木古墳群は大きく飯塚、招木地区に分かれており、この89号墳は北東側の招木地区に所在していた。

1977年(昭和52年)、すぐ東側の和銅大橋の架設による秩父市道38号線(現、秩父市道幹線8号、通称「招木古墳通り 」)の新設に伴い、発掘調査後に削平された7基の古墳のうちの1基である。

1981年(昭和56年)、この89号墳のみ、30mほど南東の市道脇の現在地に移築復元された。


▲飯塚・招木古墳群分布図

89が元位置、89が現在地
 

石室は玄室の控え積み(※)を強固にし、 玄室から周列石を2列巡らす児玉地方でよく見られる築造方法がとられている。

(※)控え積み…まず側壁や奥壁に根石から石を積み、その外側にも石を積み上げ、その間を石や砂で埋めて、壁を補強する方法
 



▲北側(招木古墳通り)から

古墳群中では、中程度の規模。
 


▲西側から

こちら側にのみ週溝が設けられた

▲南東側から横穴式石室

入口には柵があり、施錠されて
いるため、内部には入れない

カメラを突っ込んで内部を撮影

▲玄室の奥壁と側壁

弱い胴張り(左右に膨らむ)で
砂岩質の平石(権兵衛石)を
持ち送り形式(天井に近づくほど
内傾し、狭くなる)に積んでいる
 

▲羨道の側壁

羨道部、閉塞部は真石

▲天井部(白い部分は復元)

破壊されていた部分は推定復元
 

▲現地解説板
 

▲89号墳の墳丘と石室
 
所在地 【原位置】埼玉県秩父市寺尾345 (旧字招木)
所有者:個人
アクセス
駐車場

秩父地方の古墳地図
別名 飯塚招木古墳群89号墳
史跡指定 埼玉県指定史跡 「飯塚・招木古墳群」 124基
1976年(昭和51年)年3月30日指定
築造年代 7世紀後半から8世紀前半
形状 円墳
東西径:11.2m 南北径:12.3m 高さ:1.7m
埋葬施設 横穴式石室
全長:4.4m 玄室長:2.36m 羨道長:1.78m
出土遺物 須恵器片、土師器片、人骨
周辺施設 週溝(西側のみ)
調査暦 1973年(昭和48年) 分布調査(124基)
1977年(昭和52年) 道路敷設に伴う発掘調査(7基)
更新履歴

探検日(写真撮影日) 2020年01月30日
最新データ更新日 2020年02月10日

文献 秩父市文化財調査報告書(48年、49年度)
埼玉県史 資料編2 原始・古代
埼玉県古墳詳細分布調査報告書 (1994)
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 比企・秩父 さきたま出版会
埼玉県の歴史 (県史)



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