【権現山古墳群中の一基】
荒川下流の数少ない初期古墳群で、3世紀後半に造られたものと思われる。
徳川家康が鷹狩りに来た時に休憩したという伝承がある権現山(前方後方墳・市指定)と11基の方墳、計12基から成る。
埼玉県内でも、墳丘が残された前方後方墳は少なく、築造当時の姿をよく留めていることから、保存状態の良い6基が出土の土器7点と共に平成14年に埼玉県史跡に指定された
。
権現山古墳群中では主墳2号墳に次ぐ規模であり、唯一、主体部の調査
が行われているが、主体部の詳細は不明。
【古墳群発見の経緯】
『入間郡誌(1912年)』に「権現山」の記述があり、1917年(大正6年)以前には古墳群の存在が知られていた
1959年(昭和34年)の入間地区古墳分布調査で「福岡古墳群」の中に1号墳、2号墳の存在が確認された
1982年(昭和57年)、「権現山遺跡」の発掘調査で、10基以上からなる周溝墓群が確認された
【古墳のみならず住居跡も】
この7号墳の墳丘の下には、それ以前の竪穴式住居跡も確認されており、初め高台に住んでいた人々が低い位置に住居を移し、高台に墳墓を造るようになったことが判明している。
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▲北側から
公園中央にあり、道路等に削平
されることもなく、残存状態は
比較的、良好のようだ。
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▲権現山古墳群遺構配置図
2号墳同様、わざと底に穴を開けた
「底部穿孔土器」(県指定)が出土
しており、埴輪に発展する前の
段階のものとされている
▲現地解説板
ふじみ野市教育委員会による
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