【小見古墳群の主墳】国指定史跡の小見真観寺古墳を中心に、この虚空蔵山古墳、天神山古墳、籠山古墳(消滅)があり、現存は3基のみだが、10基〜20基程度で構成されていたようだ
埼玉県最大級の前方後円墳であり古墳群の主墳で、現在、確認されている他の3基はこの古墳の陪冢であったとされている
【二つの石室】 この古墳からは巨石を使った石室が2つ発見されている
■第1石室 横穴式石室
後円部南側にある第一石室は、1634年(寛永11年)、真観寺本堂再建の際に、山が崩れ、発見されたという。 その時に出土した鉄器、銅器が寺に伝えられていたというが、古墳築造当時のものではなかったようで、出土遺物は不明である
。 床面には奥壁に平行した溝が4本彫られており、かつてこの場所に箱式石棺が取り付けられていたものと推定されている。
■第2石室 横穴式石室 (箱式石棺?)
鞍部にある第二石室は1880年(明治13年)、キツネが逃げ込んだことにより発見されたという。
「横口式石槨」や「横穴式石室の特異な一形態}と考えられていたようだが、現在では「箱式石棺」と位置づけられているようだ
こちらからは多数の副葬品が発見され、東京国立博物館に所蔵されている。
▲小見真観寺古墳全体図
■は石室位置 第一石室より第二石室の方が
後に作られ、上部に存在する
【笠原直使主の墳墓説】 武蔵国造として有名な笠原直使主(カサハラノアタイオミ)の一族代々の墳墓が埼玉古墳群であるという説が有力であるが、かつてこの古墳が笠原直使主の墳墓であるというのが通説だったようだ
実際、1912年(明治45年)に「国造ノ旧跡取調」が行われた
「笠原」の笠原は、武蔵国埼玉郡笠原郷、現鴻巣市笠原の地名に由来し、この地も笠原郷に入ると考えられること、「小見(おみ)」は「使主(おみ)」の転であるなどの理由から、笠原直使主の墳墓と主張する向きもあったようだ
時期的には埼玉古墳群に後続して造られ、国造に比肩する強力な首長の墳墓であったことは間違いないようである
▲後円部前にある玄室解説板
埼玉県教育委員会
行田市教育委員会による
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