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いなりづかこふん / むらきみこふんぐん
稲荷塚古墳 / 村君古墳群

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村君古墳群

村君古墳群は、群馬県との境、利根川の急激な曲がり角の自然堤防上に築かれた古墳群で、榛名山噴火の堆積物から、5世紀末〜6世紀初頭と 考えられている。

8基の存在(村君古墳群一覧表参照)が知られているが、現在、墳丘が現存するのは、永明寺古墳御廟塚古墳とこの稲荷塚古墳の3基のみである。

100mほど南西にある御廟塚古墳彦狭島王(ひこさしまのおう)(崇神天皇の皇子で、東国に赴任し、毛野氏の祖となった豊城入彦命の孫)の墳墓であるという伝承がある。

すぐ南に所在する加須市の樋遣川古墳群も、彦狭島王の子である御諸別王の「陵墓伝説地」と なっており、稲荷塚古墳上の鷲宮神社に合祀された横沼神社は御諸別王の娘を祀るといい、豊城入彦命の末裔の伝説の深い地である。


稲荷塚古墳

稲荷塚古墳の墳頂に鷲宮神社の社殿が建てられたというが、墳丘の大部分が破壊されている。

発掘調査等は行われておらず、伝えられる出土遺物は埴輪のみで、主体部も不明である。
 


▲神社の解説板
 



▲南側から

正面の神社社殿の下にある
古墳の墳丘は全く分からない


▲北側の道路から

この角度からなら、僅かに
高まりがあるように見える
 

横沼神社

明治初期、鷲宮神社に合祀された横沼神社は「村君太夫(※)」に嫁いだという御諸別王の娘を祀っており、父の御諸別王を祀る樋遣川村の御室社(御室塚古墳)へ帰る、「お帰り」という神事が明治40年頃まで行われていたという。

(※)「村君太夫」とはこの地の有力者のようで、彦狭島王をこの地に葬ったとも。

「嫁いだ娘の里帰り」とはいかにも、後世に跡付けした感があるので、元は「何か」を御室塚古墳に帰す、別の意味を持つ神事だっだのではと妄想を膨らませてしまう。
 


消滅した浅間塚から移した社か


▲鳥居西側にある浅間塚

かつて、御廟塚古墳の北西に所在した浅間塚(No.54号墳か?・成就院所有)が昭和22年、利根川堤防の補強工事のための採土により消滅し、古墳上にあった浅間社がこの鷲宮神社境内に移されたとあるので、これのことか? (詳細は浅間塚古墳(No.54号墳)を参照)

もしかしたら、社を祀るために、ここに新たに塚を再現したのかもしれない。
 

所在地 埼玉県羽生市大字下村君2227
鷲宮神社
アクセス
駐車場
 
別名  
史跡指定  
築造年代 5世紀末〜6世紀初頭
形状 円墳
径:20m 高さ:1.5m(残存部)
埋葬施設  
出土遺物 甲冑姿の埴輪(社殿改修時、伝承)
円筒埴輪、形象埴輪(1959年、境内の伐木時)
周辺施設 埴輪列
調査暦   更新履歴

探検日(写真撮影日) 2019年12月15日
最新データ更新日 2019年12月30日

文献 埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾 さきたま出版会
埼玉県の歴史 (県史)



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