【梅若伝説の発祥の地】
謡曲「隅田川」の元となった大切なわが子・梅若を失った母の哀しい伝説の地は、東京都墨田区の木母寺というのが定説のようだが、この埼玉県春日部市の満蔵寺も
発祥の地と伝えられており、ここから木母寺に移されたとされている。
春日部市新方袋にある満蔵寺の梅若塚を略記した版木(応永三年(1393年))が、新方袋の名主の家に所蔵されており、また、寛延2年(1749年)の「葛飾記」にもここから木母寺に移されたと記されている。
【梅若の伝説】
梅若は、京都の北白川の公家・吉田少将惟房と花御前の一子である。
5歳のとき父を亡くし、7歳で比叡山月林寺に入ったが、12歳のとき山僧の争いにあい大津に逃れ、信夫の藤太に誘拐された。
やがて、この地まで来たとき、母恋しさと旅の疲れで重い病にかかり、足手まといとなった梅若は、この隅田川に捨てられる。
梅若は溺れかけたが、身につけたお守りが柳の枝にかかり助かる。
里人に手厚い介抱を受けたが、身の素性を語り、『尋ねきて 問ばば応えよ 都鳥 隅田川原の 露と消えぬ』という歌を遺して、わずか12歳で息絶えた(974年3月15日)。
里人は梅若丸を哀れに思い塚を築き桜の木を植えた。
一方、母は狂女のごとく梅若を探し求めた。
やがて、この地に来たとき、梅若丸一周忌の法要に会い吾が子の死を知り、名を妙亀と改め出家する。
ある時、近くの鏡の池で、『くみ知りて あわれとおもへ 都鳥 子に捨てられし 母の心を』と詠じると、池上に梅若の姿が顕れ、吾が子のまぼろしと対面した母は入水してしまう。
これを知った満蔵寺開山の祐閑和尚は、木像を彫って、その体内に梅若丸の携えていた母の形見の守り本尊を納め、お堂を建てて安置したという。
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▲西側から
塚の前に祠が、左に石碑、
右に解説板があり、大切に
祀られているのが分かる
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▲南側から
奥に、満蔵寺があり、
門の前、南側に塚がある |