【樋遣川古墳群】
浅間川(阿佐間川)の右岸に築造された古墳群で、かつては7基の存在が知られており、「樋遣川の七塚」と呼ばれていた。
現存するのは、この御室塚(諸塚)と500mほど南に所在する稲荷塚、浅間塚の3基のみ
。
【御室塚(諸塚)古墳】
残存する3基の中では最大規模で、かつては前方後円墳説もあったが、加須市史編纂事業の一環として測量調査が行われた結果、円墳と確認されたが、主体部は不明である。
出土遺物は伝えられておらず、保管されていたという話もあるが、この古墳ではなく、周囲の古墳から出土したものかもしれない。
上毛野(群馬県)の国造であった御諸別王(みもろわけのおう)の墳墓という伝承がある(詳細は下記の【御陵墓伝説地】を参照)。
【名称の混乱】
墳頂には御諸別王を祀る御室社(みむろしゃ)が鎮座し、「御室塚(みむろづか)」と言われるが、
『新編武蔵風土記稿』など古い資料では諸塚(もろづか)となっている。
また資料によって、御(み、お)と、室(むろ)、諸(もろ)がそれぞれ組み合わせられており、もはや正解が分からない。
・市の史跡の登録名 「御室塚(みむろづか)
・「埼玉の古墳
北埼玉・南埼玉・北葛飾」
「御室塚(おむろづか)
古墳」
・現地解説板 「御諸塚(みもろづか)
古墳」
・加須インターネット博物館
「御諸塚(おもろづか)古墳」
・加須市遺跡地図 「諸塚古墳」(御なし)
など。
さらに、御諸別王が三諸別王と表記されることもあるためか、御ではなく三で「三室」
「三諸」とされることもある。
埼玉県、加須市の指定名称と「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」が「御室塚(みむろづか)」のため、ここでは一応こちらを採用したが、現地解説板(平成20年)と加須インターネット博物館という比較的新しいものでは「御諸塚(みもろづか)」 「御諸塚(おもろづか)」
としているので、最近では「諸」の字を使用するようにシフトしたのかもれない
【御陵墓伝説地】
御室塚(諸塚・みむろづか・もろづか)には上毛野(群馬県)の国造であった御諸別王(みもろわけのおう)の墳墓という伝承が残る。
実際、明治政府による陵墓探索が盛んに行われた時期に調査され、残存していた3基の古墳、御室塚が御諸別王の墳墓、稲荷塚、浅間塚がその関係地として、「御陵墓伝説地」
(宮内庁管理外)に内定した(現在もそのままのようである)。
しかし、群馬県内にも御諸別王の墳墓と伝承される古墳は複数存在し、
また、年代にもズレがあることから、現在では、御諸別王の陵墓ではなく、この地の有力者の墳墓と
考えられているようだ。(詳細は樋遣川古墳群参照)
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