古墳の森TOP埼玉県の古墳加須市の古墳加須・羽生市の古墳地図


せんげんづかこふん / ひやりかわこふんぐん()
加須
市指定史跡 浅間塚古墳 / 樋遣川古墳群(樋遣川の七塚)

※写真は全てクリックで拡大します※


樋遣川古墳群

浅間川(阿佐間川)の右岸に築造された古墳群で、かつては7基の存在が知られており、「樋遣川の七塚」と呼ばれていた。

現存するのは、御室塚(諸塚)稲荷塚浅間塚の3基のみである。
 

御陵墓伝説地

墳頂に御室社(みむろしゃ)が鎮座する御室塚(諸塚・みむろづか・もろづか)には上毛野(群馬県)の国造であった御諸別王(みもろわけのおう)の墳墓という伝承が古くより残る。

実際、明治政府による陵墓探索が盛んに行われた時期に調査され、残存していた3基の古墳、御室塚御諸別王の墳墓、稲荷塚浅間塚がその関係地として、「御陵墓伝説地」 (宮内庁管理外)に内定した(現在もそのままのようである)。

しかし、群馬県内にも御諸別王の墳墓と伝承される古墳は複数存在し、 また、年代にもズレがあることから、現在では、御諸別王の陵墓ではなく、この地の有力者の墳墓と 考えられているようだ。(詳細は樋遣川古墳群参照)


浅間塚古墳

墳頂には此花咲矢姫(このはなさくやひめ)を祭神とする浅間神社が鎮座し、江戸末期〜明治に、富士浅間信仰のため、盛土をされたようであり、急角度の小高い丘となっている。

解説板や碑には「浅間塚」となっているが、加須市指定の名称は「浅間神社」である。

上記の通り、明治年間には東に隣接する稲荷塚と共に御諸別王の子孫の墳墓あるいは、陪冢(ばいちょう)と考えられたようである。
 



▲南から

墳頂には1857年(安政4年)の
お社が鎮座し、祭神・此花咲矢
姫の木像が祭られている
 


▲東(稲荷塚)側から

70mほど東の稲荷塚との間は
農地で、2基仲良く並んでいる
様子が遠くからも良く分かる
 


▲東側から

かなりの急角度で墳丘が
立ち上がっているのは、
後世に盛り土されたため
 

▲浅間塚古墳測量図

盛土され、周囲もかなり
改変されている様子

▲現地解説板
加須市教育委員会による
 

浅間塚脇にある史跡の碑
浅間塚稲荷塚と連名
所在地 埼玉県加須市上樋遣川4913
管理者:浅間神社
アクセス
駐車場

駐車場なし 
別名  
史跡指定 加須市指定史跡 「樋遣川古墳群浅間神社」
 1956年(昭和31年)4月16日指定
埼玉県選定重要遺跡 「樋遣川古墳群
 1976年(昭和51年)10月1日指定
築造年代  
形状 円墳
径:24m 高さ:5.5m(後世の盛り土含む)
埋葬施設  
出土遺物   更新履歴

探検日(写真撮影日) 2019年12月15日
最新データ更新日 2019年12月27日

調査暦  
文献 埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)



【PR】 

 

inserted by FC2 system