【鶴ヶ塚古墳】
加須低地のほぼ中央、東北自動車道の東側に、現況、単独で所在しており、かつて周囲にも古墳があったようだが、古墳群としての情報はな
く、詳細は不明である。
東北自動車道を挟んで、下谷古墳群が所在したが、関係性は不明である。
墳丘は平に削られており、一見して古墳には見えないが、墳丘から靫型埴輪(※)の下半分が出土したため、古墳と認定されている。
現状はかなり改変されており、円墳、方墳のようだが、かつては前方後円墳だったのではないかと考えられている。
墳丘には天照皇大神宮が鎮座し、稲荷社、浅間社が合祀されている。
戦前、北に「浅間塚」が接しており、戦後にその上にあった浅間社がこちらに移されたのだというが、「浅間塚」も古墳だったのか。
古墳であり、近接していたなら、前方後円墳の失われた、前方部または後円部だった可能性もあるかもしれない。
【古墳の名称について】
この付近は江戸時代に開墾され、「町屋新田」と称するようになったようだが、それ以前は水禽の群生地であり、「鶴塚」と呼ばれていたようだ。
「鶴塚の大松」「鶴ヶ塚古墳」の由来はそのためのようで、「鶴塚の大松」の解説板ではこの古墳を「鶴塚」としているが、地元では、墳丘上の稲荷社にちなんで、「稲荷塚」と呼ばれていたようである。
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