【箱式石棺の底石】玉敷神社の境内社の一つの橋に箱式石棺の底石と思われる板石が用いられている
何故、この底石をこの境内社の橋として利用することになったのか、他の石材はどうなったのか、現地にはこの石についての解説は何もなく、不明である
「埼玉の古墳」によると、境内社は「弁財天社」となっていたが、玉敷神社のHPには「厳島社」となっており、由緒は書かれていない「弁財天社」から「厳島社」と変更になったのか?
【騎西城付近の古墳より出土?】
大正時代、県道38号・加須鴻巣線開設工事の際、騎西城附近から掘り出されたという話もある
この近辺にも古墳は多数存在したと思われるが、現存しているものはなく、詳細は不明である。
▲武州騎西之絵図
(騎西城内解説板より)
現在の地図と照らし合わせると、県道38号線は騎西城の本丸の東側を南北に貫き、やや東に傾いていると推測される
(上の絵図の中央辺り?)
とすると、南側は城下で建物なども密集しているので上図の北東側、畑などの空白地帯に、石棺が出土した古墳が所在していたのかもしれない
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▲東から(本殿の西側)
まるで円墳の周りに、周溝が
あるような雰囲気の「厳島社」
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▲南側から
橋の下は堀になっており、
境内社を巡っている |