【箕田古墳群中の一基】大宮台地の北端、通称箕田台地上
、幅600m、長さ1000mに渡る広範囲に6世紀初頭から7世紀中葉にいたるまでの150年に築造された古墳群
現存はわすがに7基のみで、鴻巣市の史跡に指定されている
5つに分類される支群の中で富士山支群に属し、5号墳〜8号墳までの4基が現存する
すぐ北側に8号墳が隣接するがかつては周辺に多数の古墳が存在していたと考えられている
【戦前に発掘調査された】
1931年(昭和6年)に柴田常惠、稲村坦元両氏により発掘調査が行われたとのことたが、正式な報告はなされていないようだ
「箕田郷土史」「埼玉懸史」によると、「昭和初期に古墳の裾部を開墾中、石室の一部が発見され、三味線胴型の石室が現れた」とある
凝灰岩の切石切組みの石室でその時に撮影された写真が右のものであるようだ
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