【箕田古墳群中の一基】大宮台地の北端、通称箕田台地上
、幅600m、長さ1000mに渡る広範囲に6世紀初頭から7世紀中葉にいたるまでの150年に築造された古墳群
現存はわすがに7基のみで、鴻巣市の史跡に指定されている
5つに分類される支群の中で宮前支群に属し、現存古墳中最南端に位置している
箕田古墳群の通番で9号墳だが、所在地、神社の名前から「宮登古墳」、「宮前宮登古墳」
の通称が使われることが多いようだ。
ちなみに、宮登神社は現在は八幡神社だが、江戸時代は「聖権現社」で宮前村の鎮守
だったとのこと
宮登の名は「宮前」と「登戸」の両地区の6社を合祀した際に頭文字を採り、社号とした
。
(とすると、「宮前宮登古墳」という呼び方は宮前が2重になり、少しおかしい。)
現存7基中で、唯一石室が露出しているのが確認できる
【支配者の系譜に変化?】
古墳群中では新しい築造で石室石材には角閃石安山岩が使用されており、支配者の系譜に何らかの変化があったのではと言われているが詳細は不明
【被葬者は小豆婆?】
埼玉県には小豆婆の伝承が多いが、この塚にも小豆婆が埋まっている(住んでいる?)といいう伝承があったらしい
小豆をとぐ音を聞いた人がいるのだとか・・・・・・
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