【知知夫姫命の墳墓跡】
皆野町国神に所在する古墳跡?
知知夫彦命の墳墓と伝えられる「国神塚(国神の大イチョウ)」の南南東150mほどのところに少し小さめのイチョウが存在する
初代の知知夫国造の知知夫彦命と知知夫姫命の墳墓のほとりにイチョウが植えられたという伝承があり、この「国神の姫イチョウ」が知知夫姫命の墳墓と推定される
(知知夫彦命と知知夫姫命の陵墓、国神塚に関する各種資料は国神塚を参照)
【上の平古墳群中の一基?】
国神塚の周囲には複数の古墳が存在し、上の平古墳群を形成していたようであるが
、皆野町の遺跡地図にも、埼玉県古墳詳細分布調査報告書にもこの古墳の記載はない
「秩父郡誌」に書かれているイチョウがあり、知知夫姫命の墳墓と推定されるこの場所では
あるのに、古墳とは確認されていないのか。
知知夫彦命の墳墓推定地が「国神塚」と呼ばれるの対して、こちらは古墳としての名称もない。
【知知夫姫命とは何者か】
長言寺入口にある解説板には「祟神天皇の御代に秩父国造として派遣された八音思兼命(やごころおもいかねのみこと)十世の孫知知夫彦命、知知夫姫命・・・・・・」とあるが、彦と姫は2柱とも八音思兼命の子孫なのか、それとも姫は彦の妻なのか
国神塚でも触れたが、そもそも2柱は他所からこの地に派遣されてきたのか、チチブの名は
元々の地名だったのか、2柱に由来するものなのかも不明。
「金崎地誌」によると、「知々夫彦命知々夫姫命垂仁帝の時知々夫の国造として降り、此地に居せり」とあることから大和からこの地に下向したきたと考えられるが
、元々この地に勢力を持つ豪族が国造として任命された可能性もある。
知知夫彦、知知夫姫という名だけ見ると、同族の同母の兄妹かと想像してしまうが、情報は皆無で2人の関係性は全くの不明である
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▲南側から
「国神の大イチョウ」よりは
小さいが立派なイチョウの木
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▲西側から
右(南)側の畑よりは若干高い
面積が二十坪(秩父郡誌)と
いうと、畳40畳程度、円なら
直径が10m程度か?
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