【金崎古墳群中の1基】
荒川左岸段丘上に位置する古墳時代後期の群集墳。
かつては10基以上あったとされているが、4基のみ残存し、県指定史跡となっている。
いずれも秩父地方に特徴的な変成岩の板石や割石が精緻に組まれ、巧みに積み上げられた特徴的な横穴式石室を持つ。
【紛らわしい氷雨塚】
同じ金崎古墳群中の天神塚古墳(大堺4号墳)が「氷雨塚」として有名であるが、この名はこの地方で良くあるもので、この大堺3号墳も古くは「氷雨塚」と呼ばれておりしばしば混同されるようである
「大堺氷雨塚」というのはこの大堺3号墳のこととのことだが、
「氷」の字が「火」となっている
「大堺火雨塚」というのが埼玉懸史に大堺3号墳、天神塚古墳と推定される古墳と並んで記載されているのでいずれかの古墳と混同して
いるものか、2古墳とは別で、周囲にあった金崎古墳群の消滅した古墳だったのかは不明。
また、円墳大塚古墳や大渕古墳も「氷雨塚」と呼ばれており、特に大渕古墳には天神塚古墳と不思議に符号する伝承(異食により長寿を得たいう)があり、混同される部分あったのか興味深い(大渕古墳、天神塚古墳を参照)
【前方後円墳説は否定】
かつては前方後円墳という説があり、「埼玉懸史」においても「前方後円墳」となっていたそうである。
墳丘の実測図を見ると、確かに前方後円墳に見えないこともない
秩父地方には見られない墳形のため、これが前方後円墳だったら定説が覆ることからも否定的な見解があったが、やはり円墳だった
「国造墳」とも記載されていたが、金崎古墳群は知知夫国造の居住地であり、埋葬地でもあるとも言われている
しかし、国造一族の墳墓としては前方後円墳もなく、小規模の円墳ばかりなのは不自然との指摘もある
ちなみに、初代の国造である知知夫彦命の墳墓との伝承がある国神塚(国神の大イチョウ)は同じく旧国神村に所在し、ここから2kmほど西にある
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▲大堺3号古墳石室実測図
現地解説板より
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