【金崎古墳群中の1基】
荒川左岸段丘上に位置する古墳時代後期の群集墳。
かつては10基以上あったとされているが、4基のみ残存し、県指定史跡となっている。
いずれも秩父地方に特徴的な変成岩の板石や割石が精緻に組まれ、巧みに積み上げられた特徴的な横穴式石室を持つ。
【短冊型の細長い石室】
この天神塚古墳の石室は狭く細長い『短冊形』であり、胴張り(両壁が左右に丸く膨らむ)の石室に先行する形であるので、金崎古墳群の他の古墳(胴張り型)
より早くに造られたと思われる。
▲天神塚古墳石室実測図
(『埼玉の古墳 比企・秩父』より
【氷雨塚、龍宮への入口】
別名である「氷雨塚」(ひさめづか、ひのあめづか)という名前は割とポピュラーで、この秩父にも他に複数存在する
円墳大塚古墳や大渕古墳、大堺3号墳も古くは氷雨塚と呼ばれていたらしく、混同されて
しまうこともあるようだ
この地方に伝わる民話に「大淵に氷雨塚あり」と出てくるのはこの古墳のことか、あるいは大渕古墳のことか?
それによると、氷雨塚の下に穴があり、龍宮に続いていて、竜宮に行った村人達が、お土産に『二百年の長命を保てるという人形のような品物』を持たされ、それを10人分食べた人が
2000年も生きたという
【八百比丘尼の伝説との関連】
大渕古墳には、人魚の肉を食べて800年生きたという八百比丘尼の墓
という伝承があり、人肉を食べた」という全国で唯一の珍しい話も伝えられている
二つの伝承は不思議に符合する両者とも『あるもの』を食べて、長生きしたということである
竜宮土産の『人形のような品物』が八百比丘尼伝承の『人魚の肉』または『人肉』であったのか
二つの古墳と、龍宮と八百比丘尼、異食により長寿を得たいう伝承が混同され、複雑に絡み合い、今に伝えられているのか
【幸田露伴も訪れた?】
幸田露伴の「知知夫紀行」でも、氷雨塚を見学したという記述があり、この古墳のことらしい。
幸田露伴はこの古墳のことを知り、わざわざ見学に訪れたようだ。
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