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えーひゃくじゅうろくごういせき いちごうふん / ひがしみやしたひかわじんじゃ・つか
A-116号遺跡 1号古墳? / 東宮下氷川神社・塚


※写真は全てクリックで拡大します※


綾瀬川流域では市内初

縄文時代前期から古墳時代後期にかけての遺跡で、発掘調査により古墳跡一基が確認されている

それまでは綾瀬川流域で旧大宮市内の古墳は発見されていなかった
 

▼東宮下地内の古墳地図
(さいたま市遺跡地図を参考に作成)

▲右のA-116号遺跡

が発掘調査された範囲で
円墳(1号墳)の周溝が
確認されている
 

上図の@の地点に古墳を思わせる塚が存在する(右の写真)

さいたま市の遺跡地図によると発掘調査地点とは若干のズレがあるように見えるので、1号墳ではないかもしれないが同じ古墳群を形成していた別の古墳とも考えられる

板碑(室町?)などもあり、別の時代の塚とも考えられるが元々あった古墳の墳丘を利用して築かれた可能性もある

【さいたま市の塚調査報告】では「東宮下氷川神社・塚」として記載されているので、1号墳とは全く別の塚の可能性が高い


すぐ東のABの地点も微妙な盛り上がりがあり、古墳跡の可能性もある
 

古墳群が展開されていた?

この地は水田耕作に適した土地であったため、古くから人の営みがあり、すぐ南側の東​宮​下​原​口​遺​跡(​A​-114​号​)、中​里​遺​跡​(​A​-1​1​5​号​)からは集落跡などか発見されている

また、発見者の意向により、正確な場所は公表されていないが鹿の絵が線刻された人物埴輪など興味深い遺物も発見され、さいたま市の有形文化財に指定されている
(詳細はA-117号


氷川神社から200mほど北西のA-117号からも古墳跡が確認されていることから、A-116号A-117号を含め、この東宮下地内には古墳群が展開されていたと推測され、周辺には未発見の古墳が多く存在するものと考えられる


A-116号A-117号周辺の古墳跡と疑われる候補地をいくつか確認している 。

詳細はA-117号
 



▲氷川神社神社

社殿の右手(南側)が塚(左図@)
この右手の奥、遺跡の東端が
発掘調査された場所


▲左図@を北側から
1号墳か、別の古墳か

石祠や板碑など別時代の
石造物を見ると、塚か?


▲以前の訪問時(2001年)には
鳥居が存在していたが、
現在はない(写真右上)

▲墳丘(塚?)は葺石のような
石で覆われている
これを見ると古墳のように見える


▲東側から


▲南側から

▲墳頂に『雨降神社』
水神様を祀っている?

水田耕作のため、日照りの時に
雨乞いをしていたのか?

▲左図A
調査範囲に含まれるか
微妙な地点にある古墳跡を
思わせる盛り上がり

この右手から奥(南側)に行くと
空き地(調査地)が広がっている


▲左図B
上の写真のすぐ北
古墳跡を思わせる盛り上がり

このような盛り上がりは
神社の境内には点々とあり、
1号墳の他にも、周囲には多数の
古墳が存在していたはずなので、
調査されれば、古墳跡と確認
されるものもあるかもしれない



▲左図@〜B付近に
細かい埴輪片が多数

@〜Bが古墳であっても、
あるいは別の古墳が存在
していても不思議ではない
所在地 埼玉県さいたま市(旧大宮市)見沼区東宮下3丁目41
氷川神社他
アクセス
駐車場

さいたま市の古墳地図
別名 A-116番遺跡1号古墳
さいたま市埋蔵文化財包蔵地 遺跡番号12-116
史跡指定  
築造年代 6世紀
形状 円墳 外径:21.3m 内径:18m
【さいたま市の塚調査報告】
 ・塚 東西:18.0m :南北:20.0m 高さ7.8m
埋葬施設 不明
出土遺物 土師器、埴輪
調査暦 1986年(昭和61年)1月26日〜2月9日 
文献 さいたま市文化財調査報告書 第二集
  「さいたま市の塚調査報告」 平成14年
「大宮をあるく 1〜東部編」大宮市教育委員会編集
埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)
 

探検日(写真撮影日) 2011年08月09日
第二回探検日(写真撮影日) 2019年02月22日
最新データ更新日 2019年04月28日



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