【蓮沼の大塚山】
さいたま市(旧大宮市)の東に所在する塚。
「さいたま市の塚調査報告」では、富士塚以外の塚として記載されている。
詳細は不明だが、古墳が極めて少ない地区なので、古墳であることが期待されている。
「大宮をあるく 1 東部編」によると以下のような伝承があるようだ。
【1】昔、東の岩槻城で何事か起きた時、この上でノロシをあげたので、ノロシ塚と呼ばれる
【2】刀剣を納めたので刀剣塚と呼ばれる
いずれも真実は不明だが、一般的には大塚山と呼ばれているようだ。
【古墳の可能性は高い】
この地域の古墳の情報は極めて薄いが、すぐ南側には縄文、古墳時代の集落跡もあり、古墳がない方が不自然に思える
さいたま市の遺跡地図では「塚」となっているが、この塚の周辺からは縄文時代中期〜古墳〜平安時代の土器片も
発見されており、やはり古墳の可能性は濃いと思われる
古墳だと良いと期待しましたが、
2014年の発掘調査により、
近世の塚と確定しました。
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▲(2008年撮影)
駐車場になっている東側から
住宅などで裾など削られている
部分はあるが、割としっかりとした
墳丘が残存しているのは
かなり貴重に思える
左記【1】のようにノロシ塚として
使用していたなら、古墳に盛土をし、
高さを保持していたのかもしれない
▲(2008年撮影)
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【宅地造成による消滅】
(2019年3月追記)2019年3月11日現在、2008年に、写真撮影した墳丘は確認できず
さいたま市遺跡地図と照合すると遺跡所在の場所には現在、住宅が建っている
念のため、過去(1990年以前)と現在の空中写真を比較したが、やはり、過去、古墳があったと思われる森の場所には現在、住宅が存在している
現在は、古墳の南側に広がっていた雑木林のみ残存しているようである
さいたま市遺跡地図によるとA-172号遺跡は発掘調査されたようなので、住宅建設前、削平されるに先立って調査されたのかもしれない
【2019年04月追記】
2014年、住宅建設により消滅
事前の発掘調査で、骨や銭が出土し、近世の塚であると判明
しかし、近世で遺骸を葬るために、これほどの大きな塚を築いたのか
以前から存在した塚を利用した可能性はないだろうか
いずれにしても、死者を葬った墓所であったことには間違いなく、宅地化されてしまったのは残念
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