【詳細不明の塚】
非常に高い山であり、
周囲に高い建物がない現在、
威容を放っている
築造時代は不明であるが、
さいたま市の教育委員会では
古墳とは考えていないとのこと
【さいたま市の塚調査報告】では
富士塚以外の塚(名称不明)
として記載されている
【山岳信仰に利用された塚?】
一見して、富士塚のようであると
思われたが、許可を得て、
塚の頂上に登ってみると、
「御嶽神社」の石碑(右の写真)
があったので、木曽御嶽信仰に
関わる塚の可能性もある
新たに築かれたものではなく、
元々あった残土や自然の丘、
何らかの塚などが流用された
という可能性もあるが、
いずれにしても、江戸後期
以降に流行した山岳信仰に
利用された可能性は高い
【見沼代用水の残土説】
徳川吉宗の時代、すぐ西側を
通る見沼代用水を掘った時の
残土であるという説もあるが、
定かではないとのこと
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▲見沼代用水を挟んだ西側から
高い土台の上に、前方後円墳が
乗っているように見える
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▲東の県道322号線から
北側(右)は削られていたようであり
急な斜面になっている |