【詳細不明だが
古くからの伝承は残る】
かつての膝子村の西北にあり、
地名の由来となった塚
この400mほど北側には丸木舟が
見つかったことで話題になった
膝子遺跡、住居跡が見つかった
膝子八幡神社遺跡など、
古くから人の営みがあった土地で
あるので、古墳の可能性もあると
思われるが、詳細は不明
「埼玉県古墳詳細分布調査
報告書」や、さいたま市の遺跡
地図にも記載はないが、
「さいたま市の塚調査報告」には
富士塚以外の塚として記載がある
古い時代から様々な伝承が残る『新編武蔵風土記稿』
膝子村は江戸より行程八里余、
村名の起りを尋るに、往昔農夫某が
妻懐妊して異形ものを生めり、
その体を見るに人の膝の如くなれば
とて、当所をさして膝子と異名に
呼しより、終に村名となれりと云、
覚束なきことにて取べき説にも
あらざれど、土人の伝る儘を
暫く記せり
『風土記稿』
膝子塚 村の西北にあり、
はばり三間余、高一丈許、
これ村名の條に弁ぜし農夫が
妻の生し、異形のものを爰に
埋めしと云
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↑北側から
間近でみると、きれいにマウンドが
残っていて、かなり大きい印象
高さは1mとあるが、建物と同じだけの
高さがあるところを見ると、
もっと高いように見える
社がいつからあったのか不明だが
社を祀るに当たって、
盛土をした可能性もある
↑東(道路側)から
社が複数祀られている
「大宮をあるく 1〜東部編」によると
愛宕社、稲荷社、神明社、
庚申塔が祀られているという
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【名前の由来】
この地はかつては膝子村と言い、
現在も膝子の名は残っている
かつて農家の妻が妊娠し奇形児を
産んだが、それが人の膝のように
見える肉塊で、それを塚に埋めた
ためこの名がついたと
言い伝えられている
(左記の『新編武蔵風土記稿』、
『風土記稿』による)
【『膝子』についての考察】
『膝子』の名前の由来については、
複数の説が考察されている
【1】 『ひさご塚』→『ひざこ塚』説
ひさご=瓢箪ならば、
前方後円墳だった可能性もあるが、
現在、ぱっと見は円墳に見える
【2】 『ひるこ塚』→『ひざこ塚』説
ひるこ(蛭子)とは『古事記』に
出てくる、イザナギ(伊耶那岐命)と
イザナミ(伊耶那美命)との間に
生まれた最初の子で、奇形児
だったために捨てられたという
ちなみに、膝子には古くから
『蛭間』姓の家が多いが
何かの関連はあるのか |