【大塚古墳群中の一基】 さいたま市西区(かつての大宮市)に所在する方墳。 周囲には、小円墳が複数存在し、古墳群を形成していたようだが、現在はその所在は不明である
。 また、ここから1.5km南西に単独で所在する琵琶島古墳も方墳と推定されていることから、大塚古墳群を構成する1基とする見方もあるようだ。
もしかしたら、ここから南には植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群(白鍬古墳群と長く続く古墳群が存在しているがその北に連なる一支群をなしていたのかもしれない
。
【埼玉県では稀な方墳】
円墳が多い埼玉県下では珍しい方墳であるため、発掘調査は行われておらず、埋葬施設等
、詳細は不明ながらも県の史跡に指定された。
埴輪片等の出土遺物についても、伝えられているものは何もない。
遥か以前、雑木林のになっていた頃、墳丘の周囲を勝手に探検させてもらったが、石室らしき痕跡は見つけられず、埴輪片すらも見つけることができなかったので埴輪を持たないのかもしれない
。
旧大宮市の南部に所在する側ヶ谷戸古墳群では、6世紀代の埴輪を持つ古墳でも横穴式石室は導入されず、竪穴系の円墳が集中して造られ、小型の古墳では埴輪を持たない傾向にあったようなので、この大塚古墳も埴輪を持たない、竪穴形の主体部の可能性もある
。
【古墳でない可能性も……?】
古くに県の史跡に指定されたものの、発掘調査が行われていない。
埋葬施設等が発見させているわけでもなく、埴輪等も持たないようであり、伝えられる出土遺物もない。
埼玉県には珍しい方墳ということであるが、後天的に四角く削られたものである可能性もないではない。
古墳以外の富士塚等も多くある地である。
古墳と断定する根拠は極めて薄く、県の史跡に指定されたことも不自然に感じられる。 同じくさいたま市の蓮沼の大塚のように、調査してみると、別時代の塚であったという可能性もあるのではないかと思える。
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▲南側から
かつては、何もない畑の中にあり、
うっそうとした木に覆われていたが
現在はすぐ北に西大宮バイパスが
通り、周囲は大規模に開発され、
古墳を北と東側は飲食店等の
大型複合施設の駐車場となった
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【古墳の名称について】
「大塚古墳」という名称は非常に多くあるが、わざわざ「方墳」と墳形を古墳名の前につけて登録されているのは珍しい。
これは、同じ埼玉県の皆野町にも『大塚古墳』があり、同日に埼玉県の史跡に指定されて
いるので、二つの大塚古墳を区別するためと思われる。
埼玉県の指定文化財の一覧によると、昭和33年3月20日に指定登録された古墳は4基あり、そのうちの2基が「大塚古墳」という名称である
一覧には下記のように連番で並んでいる
史跡No.67 方墳大塚古墳(埼文指第107号)
史跡No.68 円墳大塚古墳(埼文指第108号)
所在地の名を前につけて、「指扇大塚古墳」などとしても良かったのであろうが、県下では方墳が珍しいという理由で史跡指定された関係で、無名の所在地より墳形をつけた
方が分かりやすいと判断し、こちらを「方墳大塚」、混同しないようにもう一方にも「円墳大塚」と、わざわざ墳形をつけて登録名としたのかもしれない。
▲現地解説板
埼玉県教育委員会
大宮市(現さいたま市)教育委員会
所有者(個人)による
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