【側ヶ谷戸古墳群の一基】
側ヶ谷戸古墳群は、鴨川沿いの肥沃な農作地帯に北から植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群(白鍬古墳群)など長く繋がる古墳群の一支群で『さいたま市大宮区三橋4丁目』に所在する古墳の総称
である。
この山王山古墳は、慈宝院の墓地内に石室材が露出した状態で保存されている。
昭和初期、墓地の造成の際に、墳丘が削平され、石室が露出し、調査が行われた。
この地方では、小規模の古墳は埴輪を持たないことが多くこの古墳も墳丘は小さく、埴輪も持っていない。
埴輪が消え、横穴式石室が採用されるようになった最後期の古墳と推測されている。
【三人分の人骨が発見】
正式な報告書はないが、与野町長だった井原和一氏の日記に、1934年の調査当時、視察した石室の様子が
書かれている。
3人分の人骨が発見されたとあり、比較的下級の埋葬に属するのではないかとしているが、反対に、同年に刊行された雑誌では「出雲民族系高貴の
人の古墳と判明」とある。
また、「安達ヶ原の鬼婆」の伝説は大宮にもあり、鬼婆を退治した阿闍梨祐慶の墓がこの慈宝院にもあるとされる。(詳細は武州足立ヶ原
黒塚 大黒天 鬼婆伝説・埼玉大宮編)
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