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             さんのうやまこふん / そばがいとこふんぐん
さいたま市指定史跡 山王山古墳 / 側ヶ谷戸古墳群

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側ヶ谷戸古墳群の一基

側ヶ谷戸古墳群は、鴨川沿いの肥沃な農作地帯に北から植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群大久保古墳群(白鍬古墳群)など長く繋がる古墳群の一支群で『さいたま市大宮区三橋4丁目』に所在する古墳の総称 である。

この山王山古墳は、慈宝院の墓地内に石室材が露出した状態で保存されている。

昭和初期、墓地の造成の際に、墳丘が削平され、石室が露出し、調査が行われた。

この地方では、小規模の古墳は埴輪を持たないことが多くこの古墳も墳丘は小さく、埴輪も持っていない。

埴輪が消え、横穴式石室が採用されるようになった最後期の古墳と推測されている。


三人分の人骨が発見

正式な報告書はないが、与野町長だった井原和一氏の日記に、1934年の調査当時、視察した石室の様子が 書かれている。

3人分の人骨が発見されたとあり、比較的下級の埋葬に属するのではないかとしているが、反対に、同年に刊行された雑誌では「出雲民族系高貴の 人の古墳と判明」とある。

また、「安達ヶ原の鬼婆」の伝説は大宮にもあり、鬼婆を退治した阿闍梨祐慶の墓がこの慈宝院にもあるとされる。(詳細は武州足立ヶ原 黒塚 大黒天 鬼婆伝説・埼玉大宮編



▲南西から

墳丘は削平されている



▲石室跡

ほとんど埋まっている

▲露出している奥壁
 


横穴式石室

左下の石室実測図の赤で塗った部分の奥壁と推測される一石のみ が露出している。

石を積み上げた石室というより、ただ単に周囲を石で囲っただけの単純なつくりに思えるが、発掘調査時の記録では、切石切り組積とされている。

石室の上部はなく、調査した柴田氏は「軟質の石のため風化した」と推測し、井原氏は「元々木であった」のではと推測している。

井原氏の推測通り、貴人のものではなく、下級に属する埋葬であったとすれば、半地下式に作った石室の上に木を乗せただけの単純な形だった可能性もある。


▲山王山古墳石室実測図
 
所在地 埼玉県さいたま市大宮区三橋4丁目564(旧大宮市)
管理責任者:慈宝院
アクセス
駐車場

慈宝院の南側墓地内
さいたま市の古墳地図
史跡指定 さいたま市指定史跡 『側ヶ谷戸古墳群
 1957年(昭和32年)3月6日指定
埼玉県選定重要遺跡 『側ヶ谷戸古墳群
  1969年(昭44年)10月1日指定
別名 さんのうづかじほういんこふん
山王塚慈宝院古墳
さいたま市埋蔵文化財包蔵地 遺跡番号12-353
山王山古墳 (山王塚、慈宝院ともいう)(Bー66r)
築造年代 7世紀後半
形状 円墳 径:20m
埋葬施設 横穴式石室 凝灰岩
出土遺物 勾玉、ガラス玉、鉄鏃、直刀、刀子、人骨等
調査暦

1934年(昭和9年)柴田常惠指導による発掘調査

文献 埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)
 

探検日(写真撮影日) 2003年01月19日
第二回探検日(写真撮影日) 2019年01月19日
最新データ更新日 2019年02月05日



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