【他地域には珍しい地下式古墳】
狭山市の古墳は地面を掘り込んで、主体部(横穴式石室)を構築する『半地下式』と呼ばれるものが多く、墳丘は低いため確認されにくい
。
この古墳群も半地下式で墳丘が低い上に、駐留軍の住宅地となっていたため、地表が荒らされており、現在では殆ど確認できない。
看板等はなく、公園入口の狭山市立博物館でも、古墳群に関しての有力な情報は得られなかった。
【古墳群発見のきっかけ】 1977年(昭和52年)に米軍の将校用住宅を取り壊した際に直刀一振が出土したため
。
調査により6基の古墳から構成されていることが判明した。
発掘調査は実施されていないが、半地下式で、天井部を石材ではなく、丸太で構築した石室の構造が、上広瀬古墳群(同市内)と酷似しているため、
6世紀後半から7世紀前半にかけて築造されたものと推察されている。 |