【栢間古墳群中の一基】埼玉県の重要遺跡に選定された9基の古墳が存在しており、「栢間七塚」とも呼ばれている栢間古墳群を構成する一基
この栢間2号古墳(No.15古墳)は天王山塚古墳のすぐに南、打出塚のすぐ北側にあったとされるが、現在は耕作により消滅しているようである
。
No.15古墳からは水道工事中に
巫女埴輪が出土したとされている。
右下の「菖蒲町栢間字本村出土」の人物埴輪のことかもしれない。
【古墳の名称について】
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」によると、栢間古墳群は10基記載があり、そのうち、この古墳は「No.15古墳」と記載されていたものである
久喜市HPによると、現在、栢間古墳群は江戸時代の塚と判明した大日塚を除外し、9基となっている
栢間古墳群の遺跡番号は「No.14」となっており、郡中の9基の古墳それぞれに1〜9までの枝番を振っているので、この古墳は
「No.14-2古墳」とされている
天王山塚古墳の現地解説板で「No.二古墳」とされているのがこの古墳であると思われる
「No.15」「No.14-2」「No.二」と紛らわしいので、栢間古墳群の2番ということで、便宜上「栢間2号古墳」とする
さらに、以前からの呼び名で様々な書物にも載っている「No.15」も( )つきで併記する
古墳名の呼び方の違いは下記の「別名」の項目を参照
|
▲西側道路から
|
▲古墳推定地のすぐ南側打出塚古墳の西隣の畑のど真ん中に打出塚古墳の墳頂にあるのと同じような祠があるのが唐突に感じられる
以前、そこに何かが存在していた可能性を感じさせる
「埼玉の古墳 」では「打出塚古墳に隣接する畑地」とあるので、この場所が古墳の正確な位置の可能性もある
久喜市の遺跡地図のポイントとの差は約20mほどであり、点で考えれば20mは大きな差だが墳丘で考えれば隣にくっつくほど、あるいは、大きな古墳、前方後円墳であれば、一つの古墳の範囲内であったとも考えられる
また、古墳群は現在、9基とされているにもかかわらず、かつてはNo.19とされた古墳もあったことから、既に消滅して、その存在が有耶無耶になった
古墳があることも推定され、この位置にも全く別の小墳が存在していた可能性も考えられる。
|