【栢間古墳群中の一基】
埼玉県の重要遺跡に選定された9基の古墳が存在しており、「栢間七塚」とも呼ばれている栢間古墳群を構成する一基
この栢山6号古墳(No.19古墳)は古墳群中、最北の夫婦塚古墳のすぐ南に所在する
。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」「久喜市遺跡地図」などから夫婦塚古墳に比較的近い右の写真辺りではないかと推定した
。
【古墳の名称について】
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」によると、栢間古墳群は10基記載があり、そのうち、この古墳は「No.19古墳」と記載されていたものである
久喜市HPによると、現在、栢間古墳群は江戸時代の塚と判明した大日塚を除外し、9基となっている
栢間古墳群の遺跡番号は「No.14」となっており、郡中の9基の古墳それぞれに1〜9までの枝番を振っているので、この古墳は「No.14-6古墳」とされている
天王山塚古墳の現地解説板で「No.六古墳」とされているのがこの古墳であると思われる
「No.19」「No.14-6」「No.6」と紛らわしいので、栢間古墳群の6番ということで、便宜上
、「栢山6号古墳」とする
さらに、以前からの呼び名で様々な書物にも載っている「No.19」も( )つきで併記する
古墳名の呼び方の違いは下記の「別名」の項目を参照
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▲夫婦塚古墳の南側
あるいは、このすぐ右側で既に
削平されてしまったかもしれない
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【異説】
▲左の写真より南に下った
ところにある禿塚古墳のすぐ
北東の畑にある祠
栢間古墳群のページの図3では禿塚古墳のすぐ北東に円墳
(名称不明)があり、「埼玉の古墳
」では禿塚古墳のすぐ近くにNo.19古墳があった(消滅?)という記述があることなどから、
上の写真の祠の辺りにNo.19古墳があったと推定してHPが散見されるので
、ここも候補地と併記しておく。
私の勝手な推測では、図3の名称不明の円墳は禿塚古墳に隣接する芝原古墳のことでは
ないかと思う。
ただし、1994年に発行された「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」には、菖蒲町に12基の古墳の記載があるが、「No.19」と名のつく古墳があることから、それ以前には20基ほどの古墳が存在しており、既に消滅していたことが推定される
ということは、この祠がある場所にもかつて、別のナンバーが振られた古墳があった可能性もある
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