【栢間古墳群中の一基】埼玉県の重要遺跡に選定された9基の古墳が存在しており、「栢間七塚」とも呼ばれている栢間古墳群を構成する一基
【禿塚古墳の位置かも?】
久喜市遺跡地図を元に位置を特定したが、
埼玉県古墳詳細分布調査報告書ではすぐ西の禿塚古墳の位置がこの芝原古墳のようにも見える
(禿塚古墳を芝原古墳と紹介する古墳サイトもある)
また、「埼玉の古墳」では、禿塚古墳のすぐ近くにNo.19古墳があったとの記述
がある。
栢間古墳群のページの図3では、円墳(名称不明)が存在する。
狭い範囲内に禿塚古墳、芝原古墳、No.19古墳、円墳と四つの古墳情報がある
色々と情報が錯綜しているので、基本的に久喜市遺跡地図に従い、この古墳を芝原古墳(既に消滅)、すぐ西側の塚を禿塚古墳(残存)、No.19古墳はすぐ近くではなく、少し北、夫婦塚古墳の南側とする
。
(図3の円墳=芝原古墳のこととし、No.19古墳は位置、名称等の誤りとすると一応
の整合性が取れる)
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▲久喜市遺跡地図から推定すると
この田んぼか、この西側に
ある住宅の辺り
残念ながら、墳丘らしきもの、
古墳跡を感じさせるものは何もない
このすぐ北側の畑の中(右の写真)
の方が、それらしい雰囲気である
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▲左の写真の北側の畑にある祠栢間古墳群のページの図3の名称不明の円墳を左で述べた通り、この芝原古墳のことと推測すると
久喜市遺跡地図の位置とは少しズレが生じるが、この祠の辺りに芝原古墳が
存在していた可能性もある
何もない、平らな畑のど真ん中に祠が存在するのは唐突な感じがして、そこに以前、何かがあった可能性を感じさせる
。
ちなみに、栢間2号古墳(No.15古墳)でも述べたが、久喜市遺跡地図と少しズレた畑の真ん中に同様の祠が存在し、そこが古墳であった可能性を彷彿とさせる
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